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社員ブログ

  • サブカルチャーが染みついて

    Yです。
    定期的に漫画をたくさん読みたい衝動に駆られます。
    特に金曜日の夜とか。解放感とともに読書欲がやってくる。

    最近のお気に入りは、浅野いにお先生の「おやすみプンプン」(小学館)。
    ずっとずっと欲しかったこの作品、知り合いに全巻もらって、夜な夜な読んでいます。

    221107_Y

    かわいらしいタイトルに反して、物語はかなり重く、「サブカル鬱漫画」として有名。
    内容は、主人公・プンプンの幼少期~青年期の人生を描いた陰鬱日常ジュブナイルって感じです。
    主人公が一筆書きみたいなゆるい鳥の姿をしていることと、いにお節の効いたかわいい女の子たちによって、
    殺伐とした空気はそんなに感じられないです(たぶん)。
    ただうっかりすると、ボディブローのようにじわじわとメンタルにくるのは否定できません。

    この漫画、緻密に張り巡らされた伏線回収と、独特の演出との調和が絶妙なんですよ。
    きっと誰しも感じたことのある焦燥感とか悲哀とか、モラトリアム人間の話が凝縮されているんです。

    何回も言いますが、私は東京のありふれた風景と群像劇の組み合わせが大好きなんですわ。

    あともう1作品、お気に入りを紹介させてください。
    巷で話題の「チェンソーマン」の作者・藤本タツキ先生が描いた読み切り漫画「さよなら絵梨」(集英社)です。

    221107-02_Y

    こちらも陰鬱とした空気が漂う作品です。
    なんせ、病気で死にゆく母親を毎日動画で撮影するところからお話が始まりますからね。
    これとにかくオチが100点満点なんですよ! 映画好きなら絶対にニヤニヤしちゃうはず。

    私の好きなポイントは、
    短調なコマ割りが映画フィルムみたいで、映画を観ている気分になるところ、
    ちょこちょこ映画ネタが出てくるところ、
    スウェーデン映画「ぼくのエリ(2008)」のオマージュなところ。
    タツキ先生の映画好きがにじみ出ている一作です。

    そういえば2作品とも、おやすみとか、さよならとか、なんか似てるなあ。
    気付けばサブカル系作品に吸い寄せられてしまう……。
    好きな作風がわかりやすいと仲間内でも定評があります。

    今回もなんとか映画の話題に絡められて(?)一安心な、Yでした。

  • 「何も見えなくなる前に」

    看病って、めっちゃいらいらしますね。
    いきなり人間失格発言ですみません、完全に人の心を亡くした発言であることはわかっています。
    ここ数週間ずっと同居人が咳風邪ひいてて、なんだか疲れてしまったんです。
    ※一応調べましたがコロナではないみたいです。じゃないと私、出社できない。

    錠剤は嫌いだから服みたくない、そもそもお薬自体嫌い、
    咳止めシロップならいける気がするけど苦いのは嫌だ、
    のど飴はスース―するから嫌だ、
    Werther's Originalみたいな濃厚で甘いやつがいい、
    甘さが喉の粘膜をコーティングしてきっとよくなるはずだ(なんだその謎理論は)、
    咳は何週間も続いているけど熱はないから風邪だとは認めない。
    ……そんなんで治るもんか!

    治そうとしているのに辛い症状が続いているなら
    かわいそうにと思うのですが、
    わがまま放題でろくな治療手段も取らず、
    家にいる間中、寝ている間さえもげほげほげほげほ。
    うるさいし心配する気持ちも5mmくらい残っているので
    こっちまで寝ていられない。

    治らないのはこの人のやる気がないからでは…?と、半ばあきれていたのですが、
    昨日何気なくTwitterを見ていたら、シソンヌのじろうさんのツイートが目に入りました。
    https://twitter.com/sissonne_jiro/status/1587974138391515136?s=20&t=18reeKTjalqyUyptfPPqMw

    もしかして、これは「熱はないのに咳が数週間長引くタイプの流行り風邪」?
    病院の薬も長時間睡眠も意味なし…そういう症状のやつだからだったのか…?
    そもそも同居人の文句が多いのはさておき、このツイートを見なかったら
    「この人は病気を治す気がないやつ」と勝手に決めつけてしまいかねませんでした。
    人間、疲れてくると視野が狭くなりがちですが、「~~かもしれない」思考って大切ですね。

    薬も療養も効かないなら、様子を見つつ基本的な栄養を摂らせて
    こまめに加湿・換気・水分補給させるしかないです。
    こう言っている私がかからない保障もありませんし。

    あつ(▼「寝てなさい!」 ▼こうかは いまひとつの ようだ…)

  • みんなえらい

    またブログ当番がまわってきました、エビスです。
    最近書いたばっかりなのにと思っています。
    人が辞めちゃうとその分ブログ当番が回ってくるのも早くなるからでしょうか。
    だんだん次までの期間が短くなってくる感じは、
    体育の授業で好きじゃなかったシャトルランを思い出します。

    運動が大嫌いで走るのなんて一番嫌いだった私は、他のみんながだいたい60回くらいは走っているのに、何食わぬ顔で20回くらいでやめていた記憶があります。粘り強さがあまりにもない。(好きな時にやめられるので〇分走とか〇km走よりシャトルランの方がマシ、というよくない考えもありました)
    もちろん走るのが苦手だったというのも大きな理由ですが、それ以上に「いっぱい走れたとて何なんだ、いっぱい走ったら次の授業とかまでしんどいじゃん」という思想が強かったことによるものな気がします。ちなみにRUNNALによると60-64歳の男性の平均が25回くらいということです。元気でいいですね。

    意味のないことにも抽象的な「がんばる」を押し付けられるのが嫌いだし、「別に走るのが好きというわけでもないのに頑張って無理にいっぱい走っている人、変なの~」と思ってみていました。「見ている人ともう終わった人は走っている人を応援する」みたいな慣習もありましたが、わたしはそんな奴だったのでとくに「頑張れ~」とか言わずに、ぼんやり眺めていました。こんな奴でも普通にクラス内に友達がたくさんいたのはかなり周りに感謝しないといけません。

    なんかごちゃごちゃ書きましたが、要はわたしは忍耐力のないザコというだけなのかもしれませんね。トホホ……
    とはいえ、もうそういう生き方でやっていくしかないかなあ、と思っているので、これからも同調圧力みたいなものはなるだけ無視して生きていこうと思います。自分で判断して生きていきます。
    そんなこと言っても私は欠かさずブログを書いているし、どんなにちょっとした信号でも無視しないし、わりかし真面目に生きているのです。やったね!🗼

    おしまい

  • 『レガシーハーフマラソン』無事完走

    宣言通り、レガシーハーフを走ってきました。プランナーの宮洋輔です。

    過去には東京マラソンを3回走ったことがありましたが、今回は約10年ぶりということで……練習時は2キロ走っただけで眩暈がしたり気持ち悪くなるという体たらく! まずはぶじ完走できればヨシ!というのが正直な気持ちでした。

    スタート地点とゴール地点が国立競技場(新)なのもアツい! 本番前日のゼッケン受け取りで会場に行った時点でもテンションが高まっていたことは言うまでもありません。


    国立競技場の観客席のこのデザインすごいよね。誰もいないのに、観客が入ってるみたい。(五輪の無観客開催時も、無観客感が出なかった?)
    国立競技場の観客席のこのデザインすごいよね。誰もいないのに、観客が入ってるみたい。
    (五輪の無観客開催時も、無観客感が出なかった?)


    PCR検査を受けたのも初!
    PCR検査を受けたのも実は今回が初!ぶじ陰性でした。良かった。

    ほかにも体調管理アプリを事前インストールして、直近1週間分の体温を報告したりなど、コロナ前とは隔世の感が……


    https://legacyhalf.tokyo/about/outline/
    https://legacyhalf.tokyo/about/outline/

    当日のコースはこんな感じでしたが、たぶん今回の1万5000人の出走者の中で私が一番水分補給をしてしまったんじゃないでしょうか。久々の長距離走が不安だったので
    ポカリスエットのペットボトル(1本)やゼリー飲料(2個)を持ち込んだほか、給水所では毎回4~5杯のスポドリや水をいただき。さらにはペットボトルにも補給し道すがら飲む。

    を続けました。こんなやついなかったんじゃないかな……。

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    それもこれも、この時期(10月中旬)にこの距離を走った経験がなかった、ということにつきます。当日は上下とも長袖のランタイツを装備し、その上に長袖のサッカーユニフォームを着てしまっており、こんなやつもいませんでしたよね。

    かつ長袖サッカーユニにゼッケンをつけてしまっていたので途中で脱ぐこともできず、道中の汗はやばいものがありました。半袖1枚でよかったですね……これが一番の反省です。(しかも水分の取り過ぎで、途中、トイレにも行った)

    今まで出走したことがあるのが12月の『千葉マリンマラソン』1回と、2月の『東京マラソン』3回だけ。両方寒い時期だったのでこの冬型装備でも問題なかったのですが、同じ装備で10月も走るというのは、いま考えると無謀でした。

    来月また『MINATOハーフ』があるので、今度はこの反省を活かした装備で臨みます!

  • ゆるい職場

    2022-10-27
    ゆとり日記

    おはようございます。

    私は玉ねぎの食感と味が嫌いで食べることができないのですが、
    玉ねぎ(の成分?)無しではカレーとかがおいしくできないので
    すりつぶして入れるためにフードプロセッサーを購入しようか迷っています、ババです。

    通勤中ニュースを確認していたら読売新聞でこんな記事がありました。

    リモート勤務で叱られぬ日々、「ゆるい職場」去る若手社員

    この記事で言う「ゆるい職場」は、どうも「叱られない職場」ということ。
    ゆるい職場は叱られないから自己成長ができないと考え危機感を募らせる若手社員が増えています、
    ということらしいです。

    まあ言いたいことはわからんでもないですが、
    「叱られないから自己成長できない」というのは責任転嫁では?とも思います。
    一理ありますがイコールではない気がします。

    さて、弊社はどうかというと比較的「ゆるい職場」ではないかと思います。
    そもそも叱るという行為にも叱る側に体力が必要ですし、それなりの能力なり技術なりが必要だろうと考えているので、
    私自身も人に叱ることはあまりできませんし(私は人を叱るに足る人間なのかということ)、
    私より上の人が誰かを叱っているのを見たこともほとんどありません。
    そういう点で弊社では「叱ることのできる人材」が不足しているのかもしれません。

    私の世代はいわゆるゆとり世代なので、「厳しくしたらやめる」とか「ほめて伸ばす」とか
    「ナンバーワンよりオンリーワン」とか言われ始め、「個性」が重視され始めた世代でもあります。
    私より上の世代の人たちはどう接するか考えあぐねたのではないでしょうか。
    (そんなようなことを前の職場の上司に言われた覚えがあります)

    どっちが良い悪いという話ではないですが、弊社もここ数年で平均年齢がガクッと下がったので、
    こういうことも含めいろいろ考えないといかんのだろうなあと思いました。

    ババ

  • 小説抄 其の15「司馬遼太郎『韃靼疾風録』」

    2022-10-25
    小説抄

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    ブログの順番がよくわからなくなっていますが、それはともかく、私のブログもこれが最後になると思います。読んでいただいた方には感謝致します。
    最後を飾るのは、10代の頃から大ファンの司馬遼太郎さんです。

    さて、韃靼と言ったら韃靼蕎麦を思い出しますが、「だったん」とは「タタール」。中国北部にいた遊牧民ですね。余談ながら(司馬遼太郎風)、タタールは「タルタルソース」の語源だそうです。ソースを作ったのは西洋人だと思いますが。
    タタール人はチンギス・ハンのモンゴルに征服されますが、そのモンゴルが滅亡したあと、女真族が統一されます。統一したのは清王朝の初代皇帝ヌルハチです。再び余談ながら、この女真族の民族衣装が現在のチャイニーズドレス。清の時代に中国全土に広まったそうです。

    さて、『韃靼疾風録』。これは司馬遼太郎最後の小説と言われています。これ以降はエッセイや対談集は出していますが、物語は書いていません。王貞治は「王貞治のバッティングができなくなった」と言って引退しますが、司馬遼太郎も「司馬遼太郎の小説が書けなくなった」と思ったのかもしれませんね。

    『韃靼疾風録』の舞台は江戸時代の初め。中国は漢民族の明の時代ですが、辺境の夷敵に過ぎなかった清王朝三代皇帝ドルゴンが万里の長城を破って明に流れ込み、そのまま中国を統一します。これがクライマックスとなりますが、この小説では司馬遼太郎は皇帝を主人公にはしませんでした。

    物語は、日本の平戸にアビアという女性が流れ着くところから始まります。アビアは女真族の公主です。鎖国期の日本にはいられません。それで下級武士の庄助に白羽の矢が立ち、藩から満州まで送り届けろと命令されます。冒頭でそう言われたら、当然、こう思います。「庄助がアビアを送り届けるのがこの小説の物語上の目的なんだろうな」と。ところが、文庫で上下巻ある途中で、庄助は無事、アビアを満州まで送り届けてしまうのです。任務完了です。

    清王朝が明を倒すクライマックスは圧巻ですが、一方で、「主人公の庄助とアビアはどこに行ってしまったんだ」という思いがありました。『国盗り物語』は斎藤道三、織田信長、明智光秀と主人公が変わりますが、『韃靼疾風録』は途中で主人公不在になるんです。物語としては最高に面白いのですが、「主人公わい」と思ってしまうのですね。

    で、『韃靼疾風録』の終わりにこうあるんです。

    それはべつとして、庄助やアビアはいつ死んだのであろう。
    そのことを詮索する根気は、筆者においてもはや尽きた。
    (司馬遼太郎『韃靼疾風録』)

    「ちょっと先生!」と思ってしまいました。ノンフィクションではないのだから、先生が心折れてしまっては、我々読者はどうしたらいいの?という感じです。
    〈最後に庄助とアビアを登場させなければ物語としてアンバランス〉ということぐらいわかっていたはずですが、精も根も尽きてしまったようですね。

    有終の美を飾るとは言いますが、なかなかそうはいきません。まだ力があるうちは「まだいける」と思ってしまいます。この引き際が難しい。司馬遼太郎さんだって『韃靼疾風録』がうまくいっていれば、もう一作、中国ものを書いていたかもしれません。結局は「もう限界」と思わせてくれるきっかけが必要になります。つまり、最後の最後は敗北するわけですね。千代の富士も矢吹丈もロッキーもそうでした。

    でも、それが格好いい。矢吹丈ではないですが、最後は「ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどまっ赤に燃えあがるんだ。そしてあとにはまっ白な灰だけが残る。燃えかすなんか残りやしない。まっ白な灰だけだ」と言ってみたいものです。
    (黒田)

  • 「大敵」

    このブログってどんな人が読んでいるのか、執筆中いつも気になっています。
    社内の人はたまに他の人のを読むらしいですね。
    ブログ書くときに「他の人はどんなこと書いているのかな」、みたいな。

    ターゲットがわかれば狙いに行けるのですが
    不特定多数って難しいですよね。
    無難に逃げることにします。

    近況報告でいえば、色々ちょっと一段落しました。
    土日に仕事のことを考えずにゆっくり近所を散歩したり、
    ふらっと写真展観に行ったりしています。
    …平凡で安定した日常を綴っても何も面白くないですね。

    余白をつぶすつもりで、ブログで連想ゲームしてみます。
    これを書きながら30秒間でいくつ単語を書けるか、ガチでやってみます。
    また油断してブログの当番が1日遅れたので、テーマは「大敵」にします。

    (30秒)
    乾燥 寒い 油断 風邪 天敵
    防御 攻撃 悪  正義 睡魔
    慢心 傲り

    …12個か。まずまず。
    連想ゲームはふつう、数を競うものですが、
    1人で勝手にやっているだけなので、連想中の自分の意識の流れを分析してみます。
    ーーーーーーーーー
    「乾燥」「寒い」は、環境を掛け算したのでしょうね。
    急に寒くなったし、水仕事の後はハンドクリーム塗らないとカサカサするし。
    この2語から転じて、「風邪」も出てきました。
    最後に風邪ひいたの何年前だっけ…?
    肌荒れとか頭痛とか原因不明の動悸とかちょっとした不調はあるんですけどね。

    「油断」は正直カウントしちゃダメな気がする。
    テーマ設定時点で出てきているし。やっぱりスコアは11個です。

    「天敵」は類語を考えたのか…?
    天敵は大敵ですが、大敵が天敵とは限りませんね。

    「防御」「攻撃」…戦おうとしとる。
    防御が先に来るあたり、性格が出ますね。

    「悪」「正義」…戦っているうちに話が壮大になってきた模様。
    どっちも自分を正義だと思っているから相手を悪だと思うんでしょうね。

    「睡魔」…わかりやすい天敵。天敵代表。
    天敵代表国歌斉唱、一蓮托生雲散霧消。(言いたかっただけ)

    「慢心」「傲り」…苦し紛れに原点に立ち返り、「油断」から連想しちゃったかんじですね。
    やっぱりスコア9個かな。
    ーーーーーーーーー

    書くネタがとくにないなあといつも思いながら書いていましたが、
    なんだかんだ手を動かしていれば出てくるものですね。
    連想ゲームはブレストみたいなものなので、
    ネタ探しの作業としてちょうどよかったみたいです。
    困ったらまたやろっと。

    あつ(予告も前兆も何もなしに寒くなるのは本当によくないと思います)

  • 三嶺へ

    2022-10-24
    山記

    今回は四国、徳島県から三嶺に向かいます。 ちなみに「みうね」と読むのです。
    今回は四国、徳島県から三嶺に向かいます。
    ちなみに「みうね」と読むのです。


    登山口は整備されています。トイレも完備。 名頃ルートは歩く人も多いそうです。安心して登れますね。
    登山口は整備されています。トイレも完備。
    名頃ルートは歩く人も多いそうです。安心して登れますね。

    最初はとにかく歩きやすい道。
    最初はとにかく歩きやすい道。

    いったん林道に合流します。 道端に工事用の様々な機材が転がっていました。 これ、なんだろう。火炎放射器?
    いったん林道に合流します。
    道端に工事用の様々な機材が転がっていました。
    これ、なんだろう。火炎放射器?

    だんだんと登山道らしくなってきます。 尾根筋の道は歩いていて気持ちがいいものです。
    だんだんと登山道らしくなってきます。
    尾根筋の道は歩いていて気持ちがいいものです。

    途中、ヌタ場もあります。 ノシシやシカが泥浴びをする場所です。
    途中、ヌタ場もあります。
    ノシシやシカが泥浴びをする場所です。

    ここは「ダケモミの丘」だそうです。 中間地点かな。
    ここは「ダケモミの丘」だそうです。
    中間地点かな。

    高度が上がると、風景も変化します。 だんだんと岩が多くなってきました。
    高度が上がると、風景も変化します。
    だんだんと岩が多くなってきました。

    山頂が近くなると、草原状の斜面。 縦横無尽にケモノ道が走っています。 これ、けっこうな斜度。
    山頂が近くなると、草原状の斜面。
    縦横無尽にケモノ道が走っています。
    これ、けっこうな斜度。

    三嶺に到着。 もっかい書きます。 「みうね」です。
    三嶺に到着。
    もっかい書きます。
    「みうね」です。

    次回、ハゲと白髪へ向かって

  • こんにちは、よしだです。

    先日、誕生日を迎えました。
    社会人になってから誕生日を迎えると、友人は「また歳とっちゃった」なんて言うのですが、
    私はまだ歳を取りたくないという気持ちになっていないんですよね。
    それは私が年齢に関して楽観的過ぎるからかもしれませんが、
    たぶん高校生くらいの頃に読んだ雨宮まみさんの「40歳がくる!」というエッセイに影響を受けている気がします。

    著者が40歳になる年に書いたエッセイで、恋愛や仕事や美容についてのリアルが書かれていました。
    決して自虐的には見えなくて、歳を重ねていくことに真っすぐ向き合っている印象が記憶にあります。
    同じ著者の『女の子よ銃を取れ』というエッセイ集を読んで、承認欲求や美意識やジェンダーなどいろいろなことを考えるようになりました。
    早くに亡くなられてしまいましたが、私の価値観を作るにあたって欠かせない方だったと思います。

    著者のエッセイを読むうちに「かっこよく歳をとりたい」という願望が芽生えました。
    革製品が使い込むうちに味を出すように、私も人間という皮をかぶっているのだからいい味を出していきたいな、と。
    (どこかで話したことがあるかもしれませんが、自分は人間の形をした別の何かなのではないかと思うことがよくあります)

    なんてかっこつけたことを書きましたが、全然中身は伴っていません。
    私はこれから何をしていくか、どうやって楽しむか。真剣に向き合うタイミングが来ているなと感じます。
    私の姿を見た年下の子たちが「あんな大人になりたい」とは言わないまでも、「大人になりたくない」「歳をとりたくない」って思わないようになんだか愉快そうな感じで生きたいものです。

  • パーソナル

    ビジネススクールで経営について学んでいます。
    リーダーに必要なものってなんなのか?

    フレームワークとかビジネスモデルとかそういうものは、
    学べば理解できるし、実践すれば体得できる。
    でも、そういうことではない。
    それはスキルでしかない。

    もっとパーソナルな部分のような気がする。
    先を見る力とか、人を引っ張っていく力、強い意志、行動力。
    シンプルに言うと、この人についていきたい、と周りの人が思うチカラ。

    一緒に学んでいる仲間が、経営はアートに近いって言っていて、
    なるほどと思いました。
    同じ状況に置かれても違う意思決定をするし、
    同じ意思決定をしたとしても結果が異なってくる。
    それは、リーダーの個によるところが大きいからだと。

    人として成長しなければと日々感じています。

    澤田