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結局は自覚の問題なのだ
2025-03-14どうでもよくない日記こんにちは。ムネです。
花粉がつらいです。
弊社の中にも花粉症の人がそれなりにいるらしく、オフィスにいると結構な頻度でくしゃみが聞こえてきます。この前エンジニアのUさんが明らかに鼻をむずむずさせていたので、「花粉症ですか?」と聞いてみたら、「わからない」と言われました。ただ、「花粉症だと自覚したら花粉症になる気がする」と言っていた気がします。
結局は自覚の問題なのだ、ということでしょうか。苦手だと思っていることも「苦手」と口に出したら苦手になってしまう、みたいな。
よくわからないですが、とりあえずは「俺できます!!」みたいにニコニコしていたら、きっといいことがあるのだと思います。
おセンチな気分
2025-03-06どうでもよくない日記最近、「小中学生くらいの頃によく聞いていた曲を聴いてセンチメンタルになる」」ことにはまっています。
たとえばミスチルのHANABIとか、AKB48の曲。オレンジレンジや湘南乃風はカラオケに行くと誰かしらが入れたりするのでまだ自分の中で更新されているのですが、ファンモンとか嵐とかを聞くと懐かしくてなんともいえない気持ちになります。
スナックとかに行くと、60代くらいの男性が昔の懐かしい曲を歌っている機会を目にしますが、泣かずに歌えているのがすごいよなあ、と思えたりもします。もし自分がほろ酔いでGReeeeNの曲とか歌うことになったら、無邪気な子供のころを思い出して泣いてしまうだろうな、と。
恵比寿映像祭
2025-02-13どうでもよくない日記こんにちは。ムネです。
先の建国記念の日に、東京都写真美術館で開催されている「恵比寿映像祭」に行ってきました。
作家自身の母親を映したドキュメンタリー映像(小田香『働く手』)から、数年前に亡くなったパフォーマーであるイトー・ターリのアーカイブなど、「記録=docs」をテーマに色々な展示が並んでいます。モザイク状のベニヤ板に水中の光を投射する作品(角田俊也「スクリーニング」)は、映像というものがあくまで「光源」とそれを反射する「スクリーン」のセットで成立するものなんだということを見せつけてくるようで面白いです。
「映像祭」というものの性質上、やっぱり「映像というメディアとはいったい何なのか/何ができるのか」を問う作品が多いような気がしました。あんまり僕自身は実験的な作風の映像をみることがあまりないので、そんなに深いことは考えずにただ楽しんだだけなのですが。
ただまあ、改めて思ったことは、こういう実験的な作品はスマホでは決して見ない/見られないだろうな、ということ。よくも悪くも退屈で、整理されていない情報が禍々しく表出しているような映像は、しっかりと美術館という場に身を運んで、「それを見るしかすることがない」くらいの状況に自分を追い込まないと、なかなか見ることができません。そうやって集中して目を凝らしてみると、思いもかけぬ細部に惹かれたり、ふと気の抜けた「くだらない」画面が気になって笑えてきたりもする。
たまには美術館とかに行くと楽しいよ、という話でした。帰り道に写真を撮ったりするのも一興。
改行力を鍛える
2025-02-04どうでもよくない日記最近、京極夏彦さんの作品をちまちまと読んでいます。
京極さんといえば、まず印象的なのが、文庫本の分厚さ。1,000頁を優に超える作品群は圧巻の存在感で、京極エリアが本棚に並んでいると、遠くから見ても何か異質なものがそこにあるような気がしてしまいます。ただ、その分厚さは読者をビビらせる諸刃の剣。もう10年以上前からその作家名に関心を持っていたにもかかわらず、なかなか手を出せなかったのは、やはりあの文庫本の威圧感のせいと言うほかありません。
ただ、重い腰を上げて実際に読んでみると、ものすごく読みやすい。長い小説ですが、一気に三日くらいで読み終えてしまいます。
どうして僕はこんなにもすらすらとこの本を読めてしまったのか。
ちょっと考えてみると、ひとつ、これじゃないかという結論が出てきます。
それはーー
改行の巧みさ(実際にやってみて、こんなにも改行ってムズイのかと戦慄しました)!!
(ちょっと引用したいんですが手元にないのであとで差し込みます。。。)
行が変わるたびに、呪いやらで混沌とした世界が一瞬静かになるような感覚。静まり返った世界の中で、ひとり、語り手の心臓の音だけが響くような感じ。
『魍魎の匣』が1,000頁を超えるのも、この「改行力」のせいかもなあ、なんて思ったり。
まあ、ほんとに一気に読めるので読んでいない人は尻込みせずに挑戦してほしいです。20世紀少年の印象が違う
2025-01-24どうでもよくない日記こんにちは。法人ソリューション部のムネです。
年末はわりに時間がたくさんあったので、いきおいでシリーズものを一気見したりしました。
そこで久々に鑑賞したのが『20世紀少年』。たぶん十年ぶりくらいの再見です。
最初に見たときは小学生とか。CMとかで流れてくる「ケーンジくん。遊びましょ」なんてセリフを、名前だけ変えて実際の友達に向けて言ったりもしていたことを思い出します。「世界征服」とかそういう大きな言葉にテンションが上がるような時期で、黒幕である「ともだち」の正体をめぐって色々と考えたものです。
ただしばらくぶりに見てみると、印象がだいぶ違う。まあ黒幕の正体を知っているからというのもあるのだと思うんですが、それよりも同窓会の描写とかに共感してしまう。風変りな子の話で盛り上がったり、影の薄い同級生を覚えていなかったり。ときには「〇〇をしていた××くん」の組み合わせで認識がずれてしまうことがあったりもする。
実際、シリーズを3本通して見てみても、「あのことを覚えているかどうか」をめぐる対立が物語の中心を走っているような気がします。トラウマ的な出来事って、たしかに被害者側だけが覚えていて、加害者側は一切の記憶に残っていなかったりする。そういうことって確かにあるよな、と思ったりもします。
そういう誰しもが覚える感覚に紐づいたテーマが、「よげんの書」とか「宗教団体」とか「世界征服」とかのキャッチーなテーマと絡みあってこんなにも面白い世界が作られている。
まあ、そんなことにちょっと感動した、という話です。
僕が小学校のころ言った「〇〇くん。遊びましょ」という声が、誰かのトラウマになっていなかったらいいなあ、なんて思ったり。
頑固なのに寂しがり屋さんね
2024-12-25どうでもよくない日記法人ソリューション部のムネです。
学生のころから、毎年ささやかなテーマを設けて一年間ちまちまと勉強をするという習慣があります。2024年のテーマは「美学・現代美術」。「美しい」と感じる心のはたらきとは何か。現代アートとはいったいどのようなシステムなのか。ちょっとでもそういった不思議の世界に入門できないかと思って、色々と本を読んだり考えたりしてきました。
その中で今年、特に面白かったのが岡崎乾二郎さんの『抽象の力』という批評。
この本が言っていることは、大雑把にいうと、「抽象とは具体的な力である」ということ。抽象絵画とは芸術家の感じていること形象化したものでも、スタイリッシュな意匠のひとつでもなく、「世界の直接的なあらわれ」をそのまま描こうとした試みであるというのです。
ものすごーく簡単に解説してみます(誤読したらすみません)。
「よくわからないこれはいったい何なのか」を考える際には、それを作った人たちが何をベンチマークとしてみていたのかが重要になります。今回の場合だと、何を倒すために抽象絵画を描いているのか、と言うことですね。
この本に登場する20世紀の芸術家たちが意識していたのは、カメラという技術でした。写真機が世界をありのままの姿で写し取ってしまうと思われた時代の中で、一部の芸術家たちは視覚的ではない形で世界のありのままの姿を直接描こうとした、と。
雑に言い換えれば、「俺の世界の見え方」を表明したのが抽象ということになります。というよりも「俺の世界の見え方こそが人間一般の世界の見え方なんだよ!」、と主張している感じでしょうか。
めちゃくちゃ面白くないですか!!!
カメラという技術があるのに、それとは異なった形の「現実」と向き合おうとする孤独。頑固な寂しがり屋の声が聞こえてくるようです。なんだかいとおしくも思えてきます。
まあ特に何かの結論とか意気込みがあるわけではないのですが、めちゃくちゃ面白かったので簡単に感想を書いておきます。もっと勉強を深堀りしたらまた報告します。
今年のブログも今日が最後になります。良いお年を。
慣れないワックスには気を付けろ
2024-12-05どうでもよくない日記はじめまして。法人ソリューション部のムネです。このブログでは、とにかく些細でどうでもいいことばかりを書いていこうと思います。
というわけで、
先日、外訪の予定があったため、久しぶりに髪にワックスをつけて出社をしました。
いつもは若干の寝ぐせもそのままに慌てて家を出るのですが、その日はいつもと違う気分で鏡の前に向かいます。埃の被ったワックスの蓋を半年ぶりくらいに開け、おそるおそるその粘っこいクリームを髪の毛に塗りたくってみると、急に言いようもない不安が襲ってきます。
絶対に、髪の毛を失敗できない。
せっかくワックスを付けているのだから、普段よりイケてる髪型になるべきです。ただ、中学生の頃の苦い経験から、ワックスをつけたがゆえにイケてない髪型になる場合があることをよく知っている。
下手にクリームを塗りすぎてむやみに髪をべたべたにするわけにはいかないし、カチッと固まらないまま道中で髪の毛をいじるような真似はしたくない。
そもそも、見た目から自分を奮い立たせるためにワックスを付けようと決意したのです。それなのに、ワックスを塗ったがゆえに髪が気になって集中できないなど本末転倒。
つまり、僕は髪の毛をこの朝の時間に決め切らなければならない。バチっとカッコいい髪型を作り上げ、そのカッコよさを自信に変えて出社をしなければならない。
鏡を睨みつけ、細心の注意を払いながら髪を整えていきます。まずは髪の毛をボサボサになるまでかき回し、全体にまでワックスを行き渡らせます。その状態から、慎重に髪の束を適切な位置に配置していきます。
鏡を見ると、結構いい感じです。バチっと決まっているといってもよい。
これなら自信をもって出社ができる。ああ、今日はいい仕事ができそうだ……。
寝間着のままでした。
よれよれのTシャツを脱いだら、さっきまでのばっちりと決まっていた髪型はどこへやら。やり直しです。