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小説抄 其の10「村上春樹『羊をめぐる冒険』」

2022-07-07
小説抄

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「長嶋は燃えた」はいいが、「長嶋は燃やした」となると「何を」という疑問が残る。
文法的には「燃やす」は他動詞で目的語を伴うからだが、しかし、文法など知らなくても私たちは「長嶋は燃やした」だけではなんか足りないと感覚的にわかる。
一方、日本語を学びたての外国人などにはこれがわかりにくい。この事情は日本人が語学学習をするようなときも同じ。その際は勘ではなく文法という理屈でこれを補う。

40年も昔のことになるが、ある日、友人が興奮して「この小説はいい」と言ってきた。それは当時の学生なら論文を書くときなどに誰もが「〇〇をめぐる〇〇」というタイトルをつけたぐらい売れている作品だった。読んでみると確かにおもしろかった。影響されて、読むたびにビールが飲みたくなったり、オムレツが食べたくなったりして、ちょっと太ってしまったくらいだった。それが『羊をめぐる冒険』だった。

ただ、終盤は物語の出口を探しあぐねているようでキレが悪いような気もした。初めて読んだときはそれも魅力ぐらいに思っていたが、このあとに氏の短編集を読んではっきりわかった。短編はあれほど切れ味鋭いのに、長いものになると今ひとつ。ということは、この人は志賀直哉と同じタイプなんじゃなかろうかと。

後年、村上氏がプロットを作らないで書くと聞き、なるほどそのせいかと思った。即興で曲を作っていくようなことをすれば展開に迷うこともあるが、その分、その曲にふさわしいメロディーができる。本当は右に行くべきだが、左に行くのがセオリーだから強引に左に行くというやり方をすれば、筋書きのない自然なドラマは作れない。

だから方法論としては正しいが、この頃はまだ長編に慣れていなかったのかもしれない。何しろ、神宮球場の外野席でヤクルト戦を観戦しているときに、「そうだ、作家になろう」と思い、翌年にデビュー。そして、『羊をめぐる冒険』はまだ三作目、初の長編だったのだから。

今、村上春樹は長編が得意ではないと言う人は全くいないと思うが、デビュー当時はそうではなかった。このことは実は『ノルウェイの森』を読んだときにも感じたが、その後、氏は語学学習をするように理論的に物語の文法を学んだそうで、今の作品に初期の作品のような逡巡はない。才能ある人も最初から完成しているのではなく、成長していくんだなと今は思える。
(黒田)