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社員ブログ

  • 志国高知 龍馬ふるさと博 文字デザイン募集

    2010-10-26
  • TK-プレス 其の33「日本人沈没」

    2010-10-26

    小松左京の『日本沈没』はとうの昔に読んでいると思ったが、よく考えると小学生の頃に映画で見ただけで、実は読んではいなかった。そして、今も読んでいないのだが、数年前にリメイクされて映画になったので劇場で見た。そのときの感想を言えば、なんだか古臭い結末だなあというものだった。この映画では、最後にSMAPの草なぎくん扮する小野寺が潜水艇に乗り込み、自らの命とひきかえに自爆することで日本を救う。原作も古いし、仕方ないのかなと思った。


    しかし、1973年の映画版はこんな結末ではなかった気がして調べたら、別の映画といっていいほど違っていた。原作や1973年版でも小野寺の奮闘空しく日本は沈没してしまうが、そもそも小野寺は主人公ではなく、ストーリーの展開の中心は田所博士と山本首相、そして、彼らは日本人と日本の財産を海外に移そうとし、自身も最後に海外に脱出する。それもそのはず、もともと原作のテーマは日本人が母国を失い放浪の民族になったらどうなるかであり、第1部「日本沈没」は第2部「日本漂流」の舞台設定に過ぎなかったから、ここで主人公たちが死ぬはずはなかった。


    それなら、2006年版の映画の結末を古臭いと感じたのはなぜか。それは主人公の死、または再起不能をもって物語を終える展開が、昭和30~40年代の劇画の展開と同じだからだろう。この頃の劇画はしばしば主人公を殺すことで話を終えた。死ななきゃ終われないと言ってもいい。それでも納得できたのは、死んでも守るべきものがあるという幻想が背景にあったからだろう。


    しかし、今は欧米流の個人主義に侵されてしまって、自国に対する帰属意識は薄い。日本を大切には思っても、わが身と不可分に一体化しているという思いは薄い。犠牲になった人がいたら奇特な人だとは思うが、しかし、他人事のような気がするのはそのせいか。欧米人の多くは一神教だからいいが、形だけ欧米人の真似をして日本人の属性を捨ててしまえば、自分たちを束ねていたものを失ってばらばらになる。小松左京が危惧したのは、そういうことだったのかもしれない。(黒)

  • 【アート】「天空のエリシュオン」キャラクターデザインコンテスト ほか

  • 独りごち 其の27「吉報」

    2010-10-21

    ある受講者の方から、1次選考を通過し、2000編中の60編に残ったと、お礼の手紙が来ました。しかも、石原慎太郎を発掘した文学界新人賞だそうです。うーん、すごい。こういうことをたくさんお知らせできるといいですね。吉報をお待ちしています。(黒)

  • 【アイデア】第23回GEヘルシーマジネーション大賞

    第23回GEヘルシーマジネーション大賞
    締切:11月8日
    内容:「世界一、シニアが健やかに輝く国、日本へ」をテーマに、ヘルスケアに関するアイデアを募集。
    主催:GEヘルスケア・ジャパン

  • 【ノンセクション】100万円争奪宝探しイベント タカラッシュ!GP ほか

    2010-10-19
  • 【ネーミング・コピー】長野電鉄 新型特急車両の愛称募集 ほか

    2010-10-19
  • 【文芸】魔法のiらんど大賞 ケータイ小説部門

  • 小説抄 其の32「東野圭吾『分身』」

    2010-10-19

    中学1年の体育祭のとき、まだ10時前だったが、誰かが先生に「お菓子食ってもいいですか」と聞いたら「いいぞ」と言うので、クラス中が歓声をあげてポテトチップスだのポッキーだのを食べ始めた。と、横を見ると飯野君が弁当を広げている。誰かが「おまえ、何、飯食ってんだよ。食っていいのはお菓子だけだぞ」と言うと、周囲は大爆笑。以来、彼にめしというあだ名がついた。飯食ったから「めし」って。子どもがつけるあだ名ってストレートで残酷だ。


    3年後、高校受験の翌日、N高を受けた人たちが教室で騒いでおり、聞けばN高の受験会場にめしがいたと言う。「そんなはずない。めしはS高だよ。俺は一緒だったから保証してもいい。他人の空似だ」と私は反論したが、N高受験組は譲らない。「他人の空似なんてもんじゃない。何から何までそっくりだった。めしじゃなければ双子だ」と言い張るので、みんなしてめしのところに確かめにいった。しかし、めしはしごく真顔で「俺は一人っ子だよ」と言うのだった。


    東野圭吾の『分身』は一卵性双生児というクローンを扱った小説だが、分身を思うときは、俺があいつで、あいつが俺だったかもしれない可能性を考えるだろう。私も、もしもこの世に双子の兄弟がいたら、やはり会ってみたくなる。だが、怖くもある。似ているにしろ似ていないにしろ、自分の人生を悔やむかもしれない。そもそも、自分と同一(に近い)人間に会って、どうして哲学的な気持ちにならずにいられよう。存在するってどういうことだと思わずにいられよう。


    成人したあと、誰かが言った。「めしって、やっぱり双子だったんだってさ」。おそらく家庭の事情だろう、二人も育てられないということで一人は里子に出された。親もいずれは話すつもりだったとは思うが、中学生の段階では知らせていなかった。私たちがあれこれ詮索してしまった結果、親から聞かされる前に、そういえば思い当たる節が……と気づいてしまったかもしれない。中学生といえば多感な時期だ。相当の動揺があっただろう。今思うと、悪いことをしたと思う。(黒)

  • 独りごち 其の26「老顔」

    2010-10-14

    昨年のクリスマスにサンタクロース?からプレゼントが届き、開けてみると老眼鏡が。そんな、じじいじゃあるまいしと思ってかけてみると、本も新聞も漫画も活字がはっきりくっきり見える。でも、一度かけてしまうと加速度的に老眼が進み、今はもうやばいことになってます。電車の中で本を読んでいて、ふと窓ガラスに映った自分を見ると、フレームから視線をはずして上目づかいに見ていたりして、その顔はまさに老顔なのでした。(黒)