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  • 改行力を鍛える

    最近、京極夏彦さんの作品をちまちまと読んでいます。
    京極さんといえば、まず印象的なのが、文庫本の分厚さ。1,000頁を優に超える作品群は圧巻の存在感で、京極エリアが本棚に並んでいると、遠くから見ても何か異質なものがそこにあるような気がしてしまいます。

    ただ、その分厚さは読者をビビらせる諸刃の剣。もう10年以上前からその作家名に関心を持っていたにもかかわらず、なかなか手を出せなかったのは、やはりあの文庫本の威圧感のせいと言うほかありません。

    ただ、重い腰を上げて実際に読んでみると、ものすごく読みやすい。長い小説ですが、一気に三日くらいで読み終えてしまいます。

    どうして僕はこんなにもすらすらとこの本を読めてしまったのか。

    ちょっと考えてみると、ひとつ、これじゃないかという結論が出てきます。

    それはーー

    改行の巧みさ(実際にやってみて、こんなにも改行ってムズイのかと戦慄しました)!!

    (ちょっと引用したいんですが手元にないのであとで差し込みます。。。)

    行が変わるたびに、呪いやらで混沌とした世界が一瞬静かになるような感覚。静まり返った世界の中で、ひとり、語り手の心臓の音だけが響くような感じ。

    『魍魎の匣』が1,000頁を超えるのも、この「改行力」のせいかもなあ、なんて思ったり。
    まあ、ほんとに一気に読めるので読んでいない人は尻込みせずに挑戦してほしいです。

  • 20世紀少年の印象が違う

    こんにちは。法人ソリューション部のムネです。

    年末はわりに時間がたくさんあったので、いきおいでシリーズものを一気見したりしました。

    そこで久々に鑑賞したのが『20世紀少年』。たぶん十年ぶりくらいの再見です。

    最初に見たときは小学生とか。CMとかで流れてくる「ケーンジくん。遊びましょ」なんてセリフを、名前だけ変えて実際の友達に向けて言ったりもしていたことを思い出します。「世界征服」とかそういう大きな言葉にテンションが上がるような時期で、黒幕である「ともだち」の正体をめぐって色々と考えたものです。

    ただしばらくぶりに見てみると、印象がだいぶ違う。まあ黒幕の正体を知っているからというのもあるのだと思うんですが、それよりも同窓会の描写とかに共感してしまう。風変りな子の話で盛り上がったり、影の薄い同級生を覚えていなかったり。ときには「〇〇をしていた××くん」の組み合わせで認識がずれてしまうことがあったりもする。

    実際、シリーズを3本通して見てみても、「あのことを覚えているかどうか」をめぐる対立が物語の中心を走っているような気がします。トラウマ的な出来事って、たしかに被害者側だけが覚えていて、加害者側は一切の記憶に残っていなかったりする。そういうことって確かにあるよな、と思ったりもします。

    そういう誰しもが覚える感覚に紐づいたテーマが、「よげんの書」とか「宗教団体」とか「世界征服」とかのキャッチーなテーマと絡みあってこんなにも面白い世界が作られている。

    まあ、そんなことにちょっと感動した、という話です。

    僕が小学校のころ言った「〇〇くん。遊びましょ」という声が、誰かのトラウマになっていなかったらいいなあ、なんて思ったり。

  • 頑固なのに寂しがり屋さんね

    法人ソリューション部のムネです。

    学生のころから、毎年ささやかなテーマを設けて一年間ちまちまと勉強をするという習慣があります。2024年のテーマは「美学・現代美術」。「美しい」と感じる心のはたらきとは何か。現代アートとはいったいどのようなシステムなのか。ちょっとでもそういった不思議の世界に入門できないかと思って、色々と本を読んだり考えたりしてきました。

    その中で今年、特に面白かったのが岡崎乾二郎さんの『抽象の力』という批評。

    この本が言っていることは、大雑把にいうと、「抽象とは具体的な力である」ということ。抽象絵画とは芸術家の感じていること形象化したものでも、スタイリッシュな意匠のひとつでもなく、「世界の直接的なあらわれ」をそのまま描こうとした試みであるというのです。

    ものすごーく簡単に解説してみます(誤読したらすみません)。

    「よくわからないこれはいったい何なのか」を考える際には、それを作った人たちが何をベンチマークとしてみていたのかが重要になります。今回の場合だと、何を倒すために抽象絵画を描いているのか、と言うことですね。

    この本に登場する20世紀の芸術家たちが意識していたのは、カメラという技術でした。写真機が世界をありのままの姿で写し取ってしまうと思われた時代の中で、一部の芸術家たちは視覚的ではない形で世界のありのままの姿を直接描こうとした、と。

    雑に言い換えれば、「俺の世界の見え方」を表明したのが抽象ということになります。というよりも「俺の世界の見え方こそが人間一般の世界の見え方なんだよ!」、と主張している感じでしょうか。

    めちゃくちゃ面白くないですか!!!

    カメラという技術があるのに、それとは異なった形の「現実」と向き合おうとする孤独。頑固な寂しがり屋の声が聞こえてくるようです。なんだかいとおしくも思えてきます。

    まあ特に何かの結論とか意気込みがあるわけではないのですが、めちゃくちゃ面白かったので簡単に感想を書いておきます。もっと勉強を深堀りしたらまた報告します。

    今年のブログも今日が最後になります。良いお年を。

  • 慣れないワックスには気を付けろ

    はじめまして。法人ソリューション部のムネです。このブログでは、とにかく些細でどうでもいいことばかりを書いていこうと思います。

    というわけで、

    先日、外訪の予定があったため、久しぶりに髪にワックスをつけて出社をしました。

    いつもは若干の寝ぐせもそのままに慌てて家を出るのですが、その日はいつもと違う気分で鏡の前に向かいます。埃の被ったワックスの蓋を半年ぶりくらいに開け、おそるおそるその粘っこいクリームを髪の毛に塗りたくってみると、急に言いようもない不安が襲ってきます。

    絶対に、髪の毛を失敗できない。

    せっかくワックスを付けているのだから、普段よりイケてる髪型になるべきです。ただ、中学生の頃の苦い経験から、ワックスをつけたがゆえにイケてない髪型になる場合があることをよく知っている。

    下手にクリームを塗りすぎてむやみに髪をべたべたにするわけにはいかないし、カチッと固まらないまま道中で髪の毛をいじるような真似はしたくない。

    そもそも、見た目から自分を奮い立たせるためにワックスを付けようと決意したのです。それなのに、ワックスを塗ったがゆえに髪が気になって集中できないなど本末転倒。

    つまり、僕は髪の毛をこの朝の時間に決め切らなければならない。バチっとカッコいい髪型を作り上げ、そのカッコよさを自信に変えて出社をしなければならない。

    鏡を睨みつけ、細心の注意を払いながら髪を整えていきます。まずは髪の毛をボサボサになるまでかき回し、全体にまでワックスを行き渡らせます。その状態から、慎重に髪の束を適切な位置に配置していきます。

    鏡を見ると、結構いい感じです。バチっと決まっているといってもよい。

    これなら自信をもって出社ができる。ああ、今日はいい仕事ができそうだ……。

     

    寝間着のままでした。
    よれよれのTシャツを脱いだら、さっきまでのばっちりと決まっていた髪型はどこへやら。やり直しです。