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小説抄 其の5「藤沢周平『たそがれ清兵衛』」
2022-03-16小説抄十代の頃、歴史の勉強を兼ねて歴史小説を読み始めた。理系だったので基礎知識が絶対的に不足している。それで司馬遼太郎を選んだが、まんまとハマった。司馬さんは知識のない人でもわかるように説明しながら物語を進めてくれるので、歴史の勉強という意味でも非常に役立ち、ある時期は徹夜で読んではまた翌日、新しい文庫を買いに行くという日々を過ごした。
しかし、司馬さんは、というよりは歴史小説は圧倒的に戦国時代と幕末が多い。それ以外の、たとえば江戸中期となるとどうしても時代小説の範疇になる。
時代小説と歴史小説は似ているが、史実を勉強したいと思っている学生には、架空の市井の庶民の話なんか読んでもなあという感じだった。本当は時代小説からも多くのことを学べたのだが、当時の私はフィクションが過ぎるものはどうもと思ってしまっていたのだった。藤沢周平さんの小説との出会いは、藤沢さんが聞いたら気を悪くすると思うのだが、実家の父親から届いた荷物の中に、その隙間を埋めるための緩衝材として詰めてあったのを手にしたのが最初だった。そうした本の多くはどうでもいい実用書や雑誌のたぐいだったので処分してしまったが、小説なら読むかもしれないととっておいた。しばらくは積ん読状態だったが、あるとき、食わず嫌いはいかんなという感じで読み始めた。
藤沢周平さんは若くして世に出たわけではなく、病弱の母と妻を養うのが第一で、いわば日曜作家として趣味で小説を書いていた。それがあるとき、大化けし、オール読物新人賞を受賞してデビューするに至る。生まれは昭和2年。戦前には小説の技術書などはほとんどなかったと思うが、なのにエンタメのコツを熟知している。いったい誰に教わったのか。〈正しい教育法ができる前にも正しい人はいた〉と言ったのはウィトゲンシュタインだったかなあ。そんなことをふと思った。
さて、『たそがれ清兵衛』。ある文芸評論家が「時代小説アレルギーがある人でも藤沢周平は大丈夫」と言っていたが、なるほど、これは面白い。主人公の清兵衛は司馬遼太郎が書くような偉人ではなく、仕事が終わったらとっとと帰るような男なのだが、苦境に立ってもそれを鮮やかに乗り越えていく。エンタメの王道のストーリーだが、藤沢周平の技術という罠にハマり、この日は通勤電車の中でも夢中になって読んでいた。
気づくと最寄り駅に着いていた。慌てて本を閉じてホームに飛び出たのだが、そこに知人がいて、「あれ、同じ車両でしたか」と聞くと、「実はずっと近くにいて、ご挨拶しようと思ったのですが、なんか夢中で本を読まれていて、近寄りがたい雰囲気で」と。彼によると、声にこそ出さないが、私は一人唸ったり、ほくそ笑んだりしていたそうだ。なんていうこと! それじゃあ、ちょっと危ない人だよ。
(黒田)小説抄 其の2「村上龍『限りなく透明に近いブルー』」
2022-01-12小説抄編集部の黒田です。
最近は、というか、もうだいぶ経ちますが、新聞のちょっとした記事でも署名を入れるようになっていますね。
公募ガイドでは社員が書く記事は無署名でしたが、文責のはっきりしない文章はどうなんですかね。
責任の所在をはっきりさせる意味でも、名前ははっきり書くべきですよね。ということで、さて。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が群像新人文学賞を受賞し、その年の芥川賞もW受賞したのは中学生のときだった。
当時マリファナ&乱交パーティーという内容は衝撃的で、武者小路実篤や堀辰雄しか知らない秀才君に、「このセンズリってどんな意味?」と聞かれたときには、「さあね」ととぼけつつ、そんなこと人前で聞くんじゃないよと冷汗をかいた記憶がある。今でも現代文学の秀作に数えられる同作だが、受賞第一作の『海の向こうで戦争が始まる』の評価はさほどでもなく、自ら『限りなく透明に近いブルー』を映画化しようとしてうまくいかなかったりして、このままでは一発屋になるのではと危ぶまれた時期もあった。
ちなみに映画はだ大失敗だったみたい。素人なのに映画を撮りたいといった村上龍もどうかしているが、それを許した映画会社も無謀だ。閑話休題。デビューすれば受賞第一作は書かせてくれる。が、そこで波に乗れず、さらに次も失敗となるともうヤバイ。
当時は三作目までにデビュー作を超える作品を書かなければ作家生命は終わると言われていたから。
しかし、村上龍は三作目で『コインロッカー・ベイビーズ』という傑作を物した。
同作は筒井康隆の「SFを書いてくれ」というオファーを受けたものだと筒井氏は思っていたそうだが、当の村上龍はその事実を一切覚えていなかった。現在は出版不況で、一作目で完全にコケたら二作目は出版できない状況だが、昔は全然売れなくても三作目までは面倒を見てくれた。
なぜ三作目までなのかは不明だが、一作目を書いたのはまだアマチュア時代であり、二作目はまだ本調子でなかったのかもしれない。でも、三作目もだめだったら、切るほうも切られるほうも納得がいくということか。
三振、スリーストライク法、三度目の正直、仏の顔も三度まで……三という数字は切れ目になる。
(了)小説抄 其の1
2021-12-13小説抄編集部の黒田です。
中山道徒歩の旅は日本橋を出て京都三条まで行ってしまったので終わりにし、今回から新連載です。
タイトルは「小説抄」。多くの小説からほんの少し書き抜いたものという意味のように思わせて、実は単なる語呂合わせです。さて。石原慎太郎は一橋大学時代に「一橋文芸」という同人誌を復刊させた際、穴埋めに自作の小説『灰色の教室』を使った。それが『文学界』の「同人雑誌批評」の中で絶賛され、慎太郎は小説家を目指す。ちなみに一橋大学を選んだのは、亡くなった父親の代わりに家計を助けるため、公認会計士になることを勧められたからだそうだが、これについては向いてないと断念、それならばと映画監督を目指そうとしていたときだった。
そんな折、『文学界』が新人賞を創設すると発表した。それで慎太郎は弟・裕次郎から聞いた噂話をベースに二作目を書く。それが昭和29年の第1回文学界新人賞、そして翌年の芥川賞もダブル受賞する『太陽の季節』である。
同作はのちに映画化され、「太陽族」という流行語まで生んだように、社会的にもセンセーショナルな事件となった。いかに注目されたかは、それまでは文壇の中のひとつの出来事に過ぎなかった芥川賞が、『太陽の季節』以降はジャーナリズムで大きく取り上げられるようになったことからもうかがえる。まさにエポック・メイキングな作品だった。「盛り場で知り合った少女と肉体関係を結ぶ」「少女に飽きて彼女を兄に5000円で売る」「彼女が妊娠中絶手術を受けて死ぬ」というストーリーも凄い。内容が過激だから凄いのではなく、時代の思想を抜き取り、数十年先を予感させるものであったことが凄い。今読んで普通と思えることが逆に凄い。
それにしても、受賞させた選考委員にも恐れ入る。ちなみに顔ぶれは、伊藤整、井上靖、武田泰淳、平野謙、吉田健一の五人だったそうだ。