小説抄 其の2「村上龍『限りなく透明に近いブルー』」
編集部の黒田です。
最近は、というか、もうだいぶ経ちますが、新聞のちょっとした記事でも署名を入れるようになっていますね。
公募ガイドでは社員が書く記事は無署名でしたが、文責のはっきりしない文章はどうなんですかね。
責任の所在をはっきりさせる意味でも、名前ははっきり書くべきですよね。ということで、さて。
村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が群像新人文学賞を受賞し、その年の芥川賞もW受賞したのは中学生のときだった。
当時マリファナ&乱交パーティーという内容は衝撃的で、武者小路実篤や堀辰雄しか知らない秀才君に、「このセンズリってどんな意味?」と聞かれたときには、「さあね」ととぼけつつ、そんなこと人前で聞くんじゃないよと冷汗をかいた記憶がある。
今でも現代文学の秀作に数えられる同作だが、受賞第一作の『海の向こうで戦争が始まる』の評価はさほどでもなく、自ら『限りなく透明に近いブルー』を映画化しようとしてうまくいかなかったりして、このままでは一発屋になるのではと危ぶまれた時期もあった。
ちなみに映画はだ大失敗だったみたい。素人なのに映画を撮りたいといった村上龍もどうかしているが、それを許した映画会社も無謀だ。
閑話休題。デビューすれば受賞第一作は書かせてくれる。が、そこで波に乗れず、さらに次も失敗となるともうヤバイ。
当時は三作目までにデビュー作を超える作品を書かなければ作家生命は終わると言われていたから。
しかし、村上龍は三作目で『コインロッカー・ベイビーズ』という傑作を物した。
同作は筒井康隆の「SFを書いてくれ」というオファーを受けたものだと筒井氏は思っていたそうだが、当の村上龍はその事実を一切覚えていなかった。
現在は出版不況で、一作目で完全にコケたら二作目は出版できない状況だが、昔は全然売れなくても三作目までは面倒を見てくれた。
なぜ三作目までなのかは不明だが、一作目を書いたのはまだアマチュア時代であり、二作目はまだ本調子でなかったのかもしれない。でも、三作目もだめだったら、切るほうも切られるほうも納得がいくということか。
三振、スリーストライク法、三度目の正直、仏の顔も三度まで……三という数字は切れ目になる。
(了)