文字を書く仕事
こんばんは、ババです。
今回は少しマジメなお話。
文字を書く仕事ってなんでしょう。
雑誌のライターさんから小説家など千差万別な仕事のような気はしますが、極端に言ってしまえば文章を書いているだけですよね。
日本の識字率は99%以上です。ほとんどの人は文字を読み、書くことができます。
ということは、文字を書くということ自体のハードルはそんなに高くないはずです。
文章を書いた経験がなくても「僕は小説家です」と言ってしまえば小説家になれそうな気もしてきます。
(仕事があるかどうかは別問題として)
数学のように複雑な計算をする必要もなければ、歴史の勉強のように暗記する必要もなく、
いつの間にか備わったスキルである文章を書くということをすればいいだけです。
やろうと思えばだれでもできます。文章系の公募の競争率が高い(気がする)のも特別なスキルが必要ないからではないでしょうか。
実際に、村上春樹は小説を書こうと思い立ちたまたま群像に応募したらそれがそのまま入選し、文壇デビューを果たしています。それまでライティングの経験などなかったようです。
しかし、実際には文字を書くことができるだけでは仕事になりません。門戸は広くてもゴールにたどり着ける人はとてもとても少ない世界です。
では、文字を書く仕事の人と他の仕事の人とは明確に何が異なっているのでしょうか。
例えば、夏目漱石から大江健三郎に至るまで、「文豪」と呼ばれる人の文章は普通の人にはやはり書けません。
作者の背景にある膨大な知識や読書量の一部が文章として表れているのでしょう。
雑誌の記者やインターネットの記事を書くのはどうでしょう。
多少の取材等の心得は必要かもしれませんが、ハードルは前者と比べると一気に下がります。
なんだかできそうな気がしてきます。
しかし、いざ自分で書いてみると全然うまく文章を書けないんですねこれが。
ここにどのような差があるのか僕にはいまだに掴むことができません。
人に文章で何かを伝えるというのはなかなか簡単にはいかないものなのです。
ただ、良い文章を書く人で本を読むことがあまりないという人は僕はあまり聞いたことがありません。
僕も人並みには本を読みますが、熱心な読書家ではありません。
きっと編集部の人たちと比べると雀の涙ほども読んでないと思います。
とすると、結局自分の人生の中でどれだけ良質な文章に触れたかが鍵になってくる気もします。
色々と書きましたが、要するに誰でもできるはずのことなのに、実際は誰にでもできない理由がよくわからないという話です。
文章は基本的に人々に消費されるものですよね。読み手がいないと文章を書く意義、出版する意義がなくなってしまいます。(文章を芸術として位置付ける人にとってはあるいはそうではないのかもしれませんが)
人々に消費してもらう文章を書くにはどうすればいいのか、しばらくの命題になりそうです。
とりあえず街に出るにしても、書を捨てずに後生大事に抱えていこうかなと思います。