小説抄 其の13「吉本隆明『源実朝』」
15歳のとき、太宰治の「右大臣実朝」を読み、源実朝に強烈なシンパシーを感じた。それで『金塊和歌集』を読んだりしたあと、辿りついたのが吉本隆明の『源実朝』だった。
後年、吉本ばななが『キッチン』でデビューし、「吉本隆明の娘だってよ」と噂になったが、今は逆ですね。「吉本隆明って誰? あ、吉本ばななのお父さんなのね」って。
さて、実朝の和歌。鎌倉時代は古今和歌集の時代。つまり、万葉集的な直截な和歌はダサいとされ、掛詞などのテクニックを駆使するようになったとき。にもかかわらず、実朝の和歌は万葉集的なわかりやすい和歌だ。家庭教師はあの藤原定家。なのにあの素朴さ。人柄なのか。
大海の磯もとどろに寄する波われてくだけてさけて散るかも
「割れて、砕けて、裂けて、散るかも」の畳語はものすごく写実的。掛詞といった小賢しいテクは一切なし。写生文を提唱した正岡子規も絶賛するわけだ。
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
これも写実的。見たまま、ありのままに詠んでいる。確か、箱根の十国峠にこの碑があった気がするが、この前、芦ノ湖から三島まで歩いたとき、なかったんだよなあ、勘違いだったかなあ。
世の中は常にもがもな渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも
百人一首にもなった和歌。漁師が海から帰ってきたのを見て、世の中はずっとこうだったらいいのになあと詠んでいる。しみじみするね。
山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも
「君」というのは恋人か、妻の坊門信子か。残念、「君」とは後鳥羽上皇のこと。後鳥羽上皇は和歌集の編纂もする出版プロデューサー。そういう点でも尊敬していたんでしょう。のちに承久の乱を起こされるけど。
時によりすぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ
台風が来たのでしょうか。わかりやすい和歌。実朝は政治はさせてもらえませんでしたが、民のことは思っていたんでしょう。一応、鎌倉殿なので。
もの言わぬ四方の獣すらだにも憐れなるかな親の子を思う
親の幸薄い実朝が歌うと切ない。獣ですら親は子を思う。いわんや人をやと言いたいところだが、鎌倉時代は親族で殺し合いばかり。実朝は甥の公暁に殺され、父親の頼朝は弟の範頼、義経を殺し、頼朝の兄、義平は叔父の義賢を殺し、義賢の子、木曽義仲は範頼・義経と戦って死に、義仲の子、義高は頼朝の刺客に殺され……。まあ、法治国家じゃないからやりたい放題。
身につのる罪やいかなる罪ならん今日ふる雪とともに消ななむ
なんで将軍になってしまったのか。凡人が権力を得ることが罪なのか。あまり有名ではない和歌だが、これが一番心に沁みる。
出でいなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
鶴岡八幡宮で公暁に暗殺された日に詠んだ最後の和歌の一つ。菅原道真の飛梅を彷彿とさせる。ぬしなき宿となると予感していたのか。
15歳のとき、実朝のような人生になる予感がありましたが、全然違いました。よかったのか、悪かったのか。今もってわからず。
(黒田)