中山道を行く 第3週
編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第3週をおおくりします。
第3週は、桶川宿を出発し、鴻巣宿を抜けて、熊谷宿まで歩いた。
桶川はシブがき隊のモックンこと本木雅弘の出身地(シブがき隊って)。この本木雅弘は大河ドラマで斎藤道三を演じていた。道三は茶人でもあるが、しばしば茶で政敵を毒殺した。ある週の放送では美濃の守護大名、土岐頼純に茶を立てるが、茶に毒が盛ってあり……。
このとき、「え?」と思った。モックンと言えば、長年、サントリーの緑茶飲料「伊右衛門」のCMキャラクターを務めている。そのモックンがお茶で毒殺なんてシャレにならない。サントリーに怒られないか! などと要らぬ心配をする。
翌日、「伊右衛門」公式ツイッターに載っていた妻役、宮沢りえのツイートがふるっていた。
「昨晩は、主人が熱演のあまり、皆様をお騒がせしましたようで、すみません。まずは心を落ち着け、茶などお召し上がりくださりませ。妻より」
出身地と言えば、この日の終着地、熊谷は鎌倉時代の武将、熊谷次郎直実の故郷でもある。
源平合戦は須磨の戦いの際、直実は敵の若き武将を見つけ、一騎打ちを挑む。この時代の習わしで名乗りを上げるが、相手は「名乗らなくても首を取って人に聞け。私を知っているだろうから」と言う。この武将こそが青葉の笛の名手、平敦盛(清盛の甥)だった。
直実は敦盛を逃がそうとしたが、どのみち源氏に殺されてしまうと思い、自らの手で討つ。しかし、彼が年端もいかない青年と知り、ショックを受けて出家してしまうのだ。
幸若舞の「敦盛」はこの場面を題材にしたもの。中段後半にある「人間、五十年、化天のうちを比ぶれば」という節は特に織田信長が好んだことでつとに有名だ。
コロナ禍の今年、ある歌舞伎役者がこう聞かれた。
「ステイホームでは何をしていました?」
「ずっと敦盛の稽古をやっていました」
「ハマりますよね、あつもり」
本木雅弘が「伊右衛門」のCMをやっていると知らなければなんということもなかった。
熊谷直実も自分が殺した敵が息子ぐらいの年の少年だと知らなければ出家もしなかった。
くだんの歌舞伎役者に質問した人も、勘違いに気づかなければ恥と思わずに済んだ。
人の世は知る必要のないことで満ちている。