中山道を行く 第2週
編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第2週をおおくりします。
第2週は、浦和宿を出発し、大宮宿、上尾宿、桶川宿まで歩いた。
このあたりは我が故郷、埼玉。しかし、郷里とは違って都市部で、「これぞ中山道」という感じはあまりない。住民も、いわゆる埼玉都民が多い。
私は地元密着度に応じて、市民を3つに分けている。
第1種市民 祖父の代からの地元民。地元の方言を使う。
第2種市民 父親の代になって移住。子どもは地元の子に近いが、親は親の方言、または標準語で話すので、地元民と他県民とのハーフという感じ。
第3種市民 本人自身が移住してきた人。地元意識は希薄。
いきなり話が脱線したが、脱線ついでに言うと、埼玉県の県民性は、あまり特徴がないのが特徴と言われている。
県民性を決める要素は、3つある。
気候・風土=極寒の地だから忍耐強いとか。
産業・豊かさ=経済的に豊かで派手とか。
大藩の教育=藩主が謹厳実直を是としたとか。
しかし、埼玉県は晴れの日が多いが、温暖というわけではなく、気候的な県民性はない。
全国的に有名な産業や特産物は少なく、観光地でもなく、県民性を作るほどではない。
小藩分立の県で、藩独自の教育の影響もない。
つまり、なんにもない野っ原にビルと宅地が建ったのが埼玉県南と思えば間違いない。
中山道、関係なくなっちゃった!!(というギャグのハライチは上尾出身)。
そうだ、浅田次郎に中山道を扱った『一路』という小説があるが、江戸を目指した参勤交代の一行は最後に大宮宿に泊まる。一気に江戸に行ってもいいが、無理して夜中に江戸に着くくらいならということで、手前の大宮あたりで一泊し、翌日は早朝に出立、昼ぐらいに余裕で江戸に入るのが余裕のある藩のたしなみというものだった。
大宮や浦和が目的地というわけではない、要は泊まるだけの通過宿……というあたりも、何にもない埼玉らしいという気がする。
武蔵路は、ひたすら退屈な道中である。