言葉処 其の9「語感とイメージ」
中上健次の小説の『枯木灘』という語感だけに惹かれて、どんな場所か知らないのに和歌山まで行ってしまったことがあった。シーズンオフだったせいか観光客は三人しかいなかったが、潮風が強くて草木が育たないことからその名のついた荒涼とした海岸は絶景だった。ただし、小説のほうは四半世紀を経た今も読了していない。やっぱり重量級の純文学は若いうちに暇と体力に任せて読んでしまうべきだったと思ってももう遅い。
新田次郎の『アイガー北壁』を読んだときも行ってみたくなった。小説もおもしろかったが、「アイガー」の語感がなんともいい。さらにクライネシャイデック駅に氏のお墓があると聞き、それならついでに墓参だと思ったが、スイスとあってはおいそれとはいけない。やっぱり海外旅行は若いうちに突貫工事のバイトでもやって勢いで行ってしまうべきだったと思ってももう遅い。
英語にはいかにもそんなイメージという単語があっておもしろい。「MELT」は実にとろとろと「溶けた」感じがするし、「SKY」はスカッと晴れた「空」という気がする。逆に「CANSER」は、病名にしては車の名前みたいで爽やかすぎる。「あなたは癌です」と言われたらショックだが、「キャンサーです」と言われたら一瞬「かっこいい」と思ってしまいそうだ(なわけないか)。
「空耳」という言葉はなんともイマジネーションをくすぐる。「空」には「空で言う」などSKYとは全く別の意味もあり、「耳」も「パンの耳」など端という意味で使うことがある。そんな意味の広い言葉が重なった「空耳」という言葉を外国人に聞かせたら、意味を特定するのは手探りになるだろう。手探りで探すことを暗中模索と言うが、これを英語圏の人が発音すると「Aren’t you Mosaku?」(茂作さんじゃないですよね)に聞こえるというのはもちろん空耳だ。(黒)
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