言葉処 其の6「ふいんき」
2007-10-09
倉木麻衣の歌の中に「……歩いた坂道」という歌詞があり、「あるいた」が「あるうぃた」に聞こえる。倉木に限らず、英語交じりの歌詞の場合、「い」が「ゐ」や「ヰ」(ともにwi)になったり、「え」が「ゑ」(we)になったりする。
英語っぽい発音と言えば、最近の若い子は「雰囲気」のことを「ふいんき」と発音するそうだ。理由は定かではないが、やはり「fun-iki」より「fui-nki」のほうが発音しやすいからだろう。そして、それを聞いた周囲の者も「fuinki」が正しいと思ってしゃべり、加速度的に誤読が広まっていく。では、「ふいんき」は誤りなのだろうか。
今では「だらしない」と言うが、正しくは「しだらない」だった。それがいつのまにか正しいほうの「しだらない」という言葉は死語となり、「だらしない」だけが残った。「しだらない」のほうは、今では「不しだら」という言い方にその痕跡をとどめるのみだ。
「あたらしい」も同様で、本来は「あらたしい」が正解。今でも「新たに」「改める」とは言うが、「あらたしい」という形容詞はなくなり、「新しい」だけが生き残った。
「見れる」「食べれる」といったラ抜き言葉も、「行けれる」「書けれる」といったレ足す言葉も、「違かった」も「違くて」も「気持ちかった」も「恥ずい」も、そのうち辞書に載って正解となるかもしれない。それでいいのかと思う一方、「美しかった」と形容詞を過去形にしてしまっているのも相当無理があるような気がするし、「美しいです」に至ってはかつて誤用だった。しかし、誤用、誤用と言ってみても、人は易きに流れる。一般化してしまえば、岡っ引きでも御用にできない。(黒)



