言葉処 その4「聞きなし」
近所の野原には極めて地味な声で鳴く鳥がいる。「ジャッジャッ」というか「ジュッジュッ」というか、その中間というか。おまけに姿は見えないし、なんとも影の薄い鳥だなと思っていた。
対照的なのはヒバリだ。こいつはいつも空高く飛んでおり、ピーチクパーチクととても陽気に見えるのだが、説話によるとそれにはせちがらい理由があるという。
ヒバリはお天道様に金を貸しており、太陽に向かって上昇し「日一分、日一分」、急降下して「月二朱、月二朱」、降りてきて「利ー取る、利ー取る」と利息の催促をしているそうだ。
古人は畑仕事でもしながらそんな想像を楽しんでいたのだろう。
このように鳥の声を言葉にすることを聞きなし(聞做)と言い、その例は枚挙に暇がない。
ツバメは「土喰って虫喰って渋ーい」と鳴くそうで、「しぶーい」のあたりは本当にそう言っているようだ。音を擬すだけでなく、生態までも言い表しているところがにくい。
ホトトギスの名はその鳴き声に由来し、聞きなしとしては「てっぺん欠けたか」というものもあるが、薄毛を気にしている人の前では言いにくい。早口言葉で耳慣れているせいか、「特許許可局」とも聞こえる。
メジロは「千代田のお城は千代八千代(または「長兵衛 忠兵衛 長忠兵衛」)、ホオジロは「一筆啓上仕り候」と聞きなす。メジロは「チルチルミチル」、ホオジロは「札幌ラーメン、味噌ラーメン」とも聞きなし、昔話になりそうな味はないが、これはこれでおもしろい。
ジュウイチはそのものずばり「十一」と鳴くが、昔の人はこれを「慈悲心」と聞いた。これに「法華経」と鳴くウグイスと「仏法僧」と鳴くブッポウソウを加えた三鳥を日本三霊鳥と呼ぶ。
ただ、実際にブッポウソウと鳴いているのはコノハズクで、昭和10年、このことが学問的に証明された。経緯は動物文学の戸川幸夫の小説「仏法僧」に詳しい。
聞きなしの多くはさえずり、即ち繁殖期に聞かれる声である。一方、ふだん鳴く声を地鳴きと言い、冒頭の「ジャッジャッ」という声の主を調べたら、なんとウグイスだった。ウグイス嬢など流暢な美声にたとえられるウグイスも、楽屋では別人だったようだ。(黒)



