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小説抄 其の12「戸川幸夫『高安犬物語』」

2022-08-24
小説抄

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戸川幸夫は毎日新聞の記者であり作家志望ではなかったが、友人の作家に誘われ、大衆文学の大御所、長谷川伸が主催する新鷹会という小説の勉強会に参加する。3ヶ月後、君も何か書いてこいと言われ、旧制山形高校(現山形大学)時代の思い出を書いた『高安犬物語』を提出した。その処女作がなんとその年の直木賞を受賞してしまうのである。すると、師匠の長谷川伸は「こうなった以上は新聞記者はやめて……」と言い、戸川さんも専業作家になる。なんていう劇的な人生か。

当時(昭和29年)、新人文学賞は少なく、新人の多くは長谷川伸のような重鎮の推薦でデビューしていたのだが、『高安犬物語』もそのような形で「大衆文芸」に掲載され、そのまま直木賞を受賞した。「大衆文芸」は新鷹会の会誌といっていい面もあり、ここでは村上元三など新鷹会の同人が多く活躍、のちには池波正太郎や平岩弓枝も輩出する。
ちなみに「大衆文芸」は白井喬二・江戸川乱歩が創刊させた雑誌だったが、経営難のため休刊していたのを長谷川伸らが復活させた。長谷川伸が関わったのは第三次「大衆文芸」になる。

さて、『高安犬物語』。高安犬とは、山形県の高安地方に生息し、昭和初期に絶滅してしまったマタギ犬であるが、戸川さんはこの高安犬より先に日本狼に興味を持ち、「もう一匹も残ってはいないのだろうか」と日曜ごとに自転車を駆って探しまわったという。しかし、山犬(日本狼)が撃たれたとか、米沢の古老が狼を飼っていたといった噂を聞きつけては調査してみたが、いずれも野生化した日本犬に過ぎず、ついに発見には至らなかった。

それもそのはず、日本狼は明治期に絶滅してしまっていた。亡びゆく種族に対して愛惜を持っていた戸川さんとしては無念だったと思うが、しかし、このときの情熱と悔しさは、昭和44年のイリオモテヤマネコ発見として実を結ぶ。野生ネコの新種発見は70年ぶりのことであり、当時は20世紀最大の生物学的発見と言われた。戸川氏55歳のときの偉業である。

さて、いきなり作家になってしまった戸川さんにとっては、それからが作家修業の時代となるのだが、そんなある日、同門の新田次郎がこう言った。「(勉強会は)まだまだ生ぬるい。もっと罵りあい、つかみかかるほどの厳しい批判をしあおうじゃないか」と。戸川さんはそれに賛同し、池波正太郎らを誘って「炎の会」という組織を作り、毎月一度、那須山中の宿に泊り込んで研鑽会をしたそうだ。その甲斐あって新田次郎は山岳小説の、池波正太郎は時代小説の第一人者となり、戸川幸夫は動物文学の草分けとなる。まさに大衆文学の梁山泊だった。
(黒田)