Logo

employee blog社員ブログ

小説抄 其の9「志賀直哉『和解』」

2022-06-15
小説抄

41Tb3C1qHUL._SY291_BO1,204,203,200_QL40_ML2_

小説に興味を持ったとき、近代文学の創成期から順に読破しようと思った。まだ十代だった。
しかし、明治の文学は漢字が多くてとっつきにくい。特に擬古典主義の時代は「これ、古文かいな」という感じで全く読めない。
親友のH君は芹沢光治良の『人間の運命』(昭和の文学だけど)などというものを読んでいて、「こういう硬派の文学は大人になったら読めないから、今のうちに勢いで読んでおく」などと言っていたが、私にはできない相談だった。

坪内逍遥、幸田露伴……めまいがする。樋口一葉、国木田独歩……溜め息しか出ない。島崎藤村『夜明け前』……な、長い。明治はだめだ、大正で許してもらおうと誰に言い訳しているのかわからない言葉を吐きつつ志賀直哉に手をかけた。『暗夜航路』……こんなに厚くて上下巻なんて勘弁してくれ、受験勉強もしなきゃならんのだと思ったとき、『和解』が目に入った。薄い。これならすぐに読み終わりそう。しかも名作らしい。
確かに読了するのに三日とかからなかった。しかし、読後の感想は、「お偉い方々が絶賛しているんだから名作なんだろうなあ、たぶん」といったものでしかなかった。

当時は親子関係に問題を抱えていたから、子どもが生まれたあと、父親と和解するというストーリーに興味を持ったが、なんとなく薄っぺらい印象を持った。太宰治が志賀直哉にケンカを売った文章を読んでいたので、裕福な家庭に生まれた苦労知らずだとあなどっていた節もあった。
ちなみに、太宰のその文章がこれ。

 普通の小説というものが、将棋だとするならば、あいつの書くものなどは、詰将棋である。王手、王手で、そうして詰むにきまっている将棋である。旦那芸の典型である。勝つか負けるかのおののきなどは、微塵みじんもない。そうして、そののっぺら棒がご自慢らしいのだからおそれ入る。
(中略)
 この者は人間の弱さを軽蔑している。自分に金のあるのを誇っている。「小僧の神様」という短篇があるようだが、その貧しき者への残酷さに自身気がついているだろうかどうか。ひとにものを食わせるというのは、電車でひとに席を譲る以上に、苦痛なものである。何が神様だ。その神経は、まるで新興成金そっくりではないか。
(太宰治「如是我聞」)

めちゃめちゃ怒っている。いちゃもんつけられて小説の神様もいい面の皮だが、ケンカ文まで悪魔的に名文というのが太宰のすごいところ!

閑話休題。それから三年後、私自身が親に勘当され、家を出るという状況になる。どういう巡り合わせか、今考えると、『和解』そのものだ。その後、父親とは和解し、結婚もし、子どもが生まれる。
亜子のあまりのか弱さに風が吹いても心配になり、あれこれと余計な心配ばかりしていたとき、ふと親の存在を煩わしいと思っていた昔を思い出し、親はこんなふうにオレを見ていたのかと初めて気づく。と同時に、はて? この心境、どこかで聞いたことがあるなと思ったら、それは『和解』そのものだった。
よく考えると、裕福な家庭に生まれた苦労知らずというところも私とそっくり。
『和解』は私の人生の予告編だったのかも。その後の人生はある意味、『暗夜行路』だったけど。
(黒田)