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小説抄 其の7「谷崎潤一郎『痴人の愛』」

2022-04-26
小説抄

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男は初という男勝りの女性に求婚するが、初はこれを断り、代わりに妹の千代子を薦める。男は姉妹なら似たような性格だろうと嫁にもらうが、千代子は貞淑で従順な女性だった。普通なら手放しで喜ぶところだが、男の嗜好には合わず、飽き足らなくなってしまう。

そんな折、男は千代子の妹のせい子と出会う。せい子は初に似て、奔放で男を振り回すタイプだったため、男は猛烈に入れ込んでいく。
男とは谷崎潤一郎。せい子は『痴人の愛』に出てくるナオミのモデル。同作には主人公の譲治がナオミの足を好んで舐めるシーンが出てくるが、谷崎本人にそうした嗜好があったかどうかまでは知らない。でも、たぶそうなのでしょう。大谷崎、ドM!

とまれ、千代子の話。貞淑であることは離婚の理由にはならない。そこで谷崎は一計を案じ、千代子の境遇に同情している親友の佐藤春夫に「千代子をもらってくれないか」と持ちかける。佐藤としては「そんなバカな」だが、だんだんその気になる。千代子も同じ。

ところが谷崎はそうは言ったものの、恋をして綺麗になっていく千代を見て手放すのが惜しくなり、「この話はなし」と前言を翻す。怒った佐藤は谷崎と絶交し(小田原事件)、千代を想う詩を次々と発表する。言わば公開ラブレターだが、「秋刀魚の歌」はそんな中で生まれた。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。
(佐藤春夫「さんまの詩」)

それから9年後の昭和5年、谷崎潤一郎、佐藤春夫、千代子の三人は連名で、
「我等三人はこの度合議をもって、千代は潤一郎と離別致し、春夫と結婚致す事と相成り」
という声明文を発表する(細君譲渡事件)。
当時は妻を物のように扱うと非難されたが、「いらないからやるよ」ということではなく、激しい嫉妬をした末に「そんなに好きならくれてやる」という面もあったらしい。興味のある方は『蓼食う虫』を読むべし。

ちなみに千代はその後、佐藤と結婚、終生静かに暮らし、谷崎は二度の離婚を経て松子と再婚、次女の松子ほか四姉妹をモデルに『細雪』を書く。
(黒田)