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小説抄 其の6「井伏鱒二『山椒魚』」

2022-04-06
小説抄

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1995年に、公募ガイド創刊10周年を記念し、『榊原和夫の現代作家写真館』の連載を単行本化した。その際、雑誌でやった連載ページをただ転載するだけでは面白くないので、新たに寄稿を依頼した。芥川賞作家の八木義徳さんもその一人だった。

気がつくと原稿の締め切りが過ぎており、ご自宅に直接電話した。八木先生はちょうど全集のゲラ(校正刷り)を読んでいたらしく、「昔の作品に赤を入れだしたらきりがない。だから、ほどほどにしておく」とおっしゃっていた。このとき、八木先生、80代。若い頃に書いた作品は未熟に思えたのだろう。

昔に書いた原稿を読むと、「練られてない」「若書きだ」「つたない」と思ってしまう。しかし、文章は一行目から結末まですべてつながっているもので、おかしいからと言って直せば、そこだけ浮いてしまう。汚れた壁の一か所だけ掃除したら、逆に汚れが目立ってしまうようなものだ。やるなら、一から全部書き直すしかない。しかし、それをやっていると、別の作品になってしまいかねない。だから、八木先生は「ほどほどにして」おいたのだ。

やっと本題。これは八木先生と話したあとで思ったことだが、このときの八木さんの頭には井伏鱒二の一件があったのではないかと思った。
八木先生とのやりとりを遡ること10年前の1985年、井伏鱒二は『井伏鱒二自選全集』(新潮社)に「山椒魚」を収録した際、作品の最後の17行をばっさり削ってしまった。
削った部分は、以下の文章。

 ところが山椒魚よりも先に、岩のくぼみの相手は、不注意にも深い嘆息を漏らしてしまった。それは「ああああ」という最も小さな風の音であった。去年と同じく、しきりに杉苔の花粉の散る光景が彼の嘆息をそそのかしたのである。
 山椒魚がこれを聞き逃す道理はなかった。彼は上のほうを見上げ、かつ友情を瞳にこめて尋ねた。
「おまえは、さっき大きな息をしたろう?」
 相手は自分を鞭撻して答えた。
「それがどうした?」
「そんな返事をするな。もう、そこから降りてきてもよろしい。」
「空腹で動けない。」
「それでは、もうだめなようか?」
 相手は答えた。
「もうだめなようだ。」
 よほどしばらくしてから山椒魚は尋ねた。
「おまえは今、どういうことを考えているようなのだろうか?」
 相手はきわめて遠慮がちに答えた。
「今でも別におまえのことを怒ってはいないんだ。」
(井伏鱒二『山椒魚』)

『山椒魚』を最初に発表したのは、1929年。つまり、50年以上が経っている。連載小説を単行本にするときなどに大幅に加筆するということは珍しくはないが、既に世に出て久しい作品の、しかもラストの部分を削るというのは異例のことだ。
当然、賛否両論の議論が巻き起こった。だって、この17行を含めて『山椒魚』だと思っている人が大半なのだ。今更、「あれはなかったこと」にはできない。

このとき、井伏鱒二は90歳近いのだが、「『山椒魚』のラストは蛇足だ」と思ったのだろう。でも、このラストの部分を論じてものを書いたり、会話したりした人が無数にいる。芸術は「これで完成」ということはなく、推敲は一生続くものだと言えば美談にも思えるが、山椒魚だけに蛇足という足があってもいいのでは? なんて思わないでもない。

その後、2008年の第100版と、手元にあった1980年の第46版を比べてみたが、字詰めやふりがなを除けば内容はまったく同じだった。ということは、修正が生かされたのは自選全集のほうだけということになる。つまり、二つの「山椒魚」が存在することになるのだが、往年の名曲がニューバージョンとして売り出されたと思えばいいだろうか。
(黒田)