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社員ブログ

小説抄 其の4「山本有三『路傍の石』」

2022-02-24

編集部、黒田です。
厳密にはリテールサービス部と言い、編集部ではありませんが、
対外的には何をやっている部署かわかりにくいので、
いまだ編集部と言ったりしています。さて。

病床にある人に「形見に何か欲しいか」と言われたら、「そんな気の弱いことは言わず、一日でも長生きしてくれよ」と言うのが普通だと思うが、父にそう言われたときは、思わず「あ、じゃあ、初版本を」と言ってしまった。それは近代文学の初版を復刻させたもので、昭和40年代に主として通販で販売されたものらしかった。

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我が家のそれは洋間のインテリアのような存在で、なんとはなしに毎日タイトルだけ眺めていたのだが、高校生のとき、ふとこの初版に『新篇・路傍の石』とあるのに気づいた。山本有三のこの名著は新潮文庫で読んでいたのだが、そちらはただの『路傍の石』。なのに初版本のほうはなぜか「新篇」なのだ。古いほうが「新篇」ってどういうことかと不思議に思う。

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初版では「新篇」。文庫版では当初何もなく、その後、「新版」が付き、現在は何もつかない。

なんでだ。そう思うともう違いを確かめずにはいられない。ところが、中を見ると断裁がされておらず、ページが開けない。昔の単行本は断裁されないまま発売されるものもあり、その場合はペーパーナイフで1ページずつ切りながら読むシステムだったらしいのだ(それも再現してある)。よし、じゃあ、ペーパーナイフで切って、と付属のナイフを手にとったとき、はたと考えた。

これは切っていいものだろうか。いや、いいわけないよな。でも、これはレプリカだし、本物ではないからいいか? いやいやレプリカだからこそまずいのでは? しばらく迷ったが、しかし、隠されたものを目前にしてどうして見ずにいられよう。知りたい欲求は半ば人間の本能のようなものだ。

最後のページのほうを切ってみると、果たして文庫にはない続きがあった。高校生にとって旧仮名遣いは難しかったが、それを読んで満足し、満足したら何が書かれてあったかはどうでもよくなってしまった。

さて、謎が解けてすっきりしたのはいいが、問題が残った。父親が大事にしているものを切ってしまった痕跡をどう隠すかだ(正直に打ち明けるという選択肢はなかった)。奥のほうに隠すか。いや、わざとらしい。いっそ捨てるか。それでは余計に罪を重ねる。迷った末、長塚節と谷崎潤一郎の間に挟んでしばし静観することにした。幸い、初版本は洋間の飾りだったからひもとく者もなく、その後も誰にも開かれることなく数十年を過ごし、今は父親の形見として私の本棚にある。

余禄。ところで、この機会に初版本の『新篇・路傍の石』を見てみようと書架から引っ張り出してみたら、なんと、ペーパーナイフで切る形式の本ではなかった。はて、どういうことか。恐らく、別の記憶と混同してしまったのだろう
となると、ペーパーナイフで切ってしまったのはどの本だったのか。もしかすると、そもそも切ってはいなかったのに、父親に対して罪悪感があり、その深層心理によって「父親の大切なものを傷つけてしまった」という記憶にすり替わってしまったのか。謎!
(了)