手で書くということ
2021-02-08
エッセイもどきこんばんは、Jです。
何かについて考える時、みなさんは白い紙に手書き派でしょうか、それともスマホやパソコンのメモ帳アプリに打ち込み派でしょうか。
どちらも一長一短ありますが、このデジタルの時代に私はあえて手書きを推します。
例えばスピードという点で、手書きは打ち込みに負けるかも知れません。でもそこは活字の罠。大したことを書いていない、あるいは話のつながりが破綻していても活字を眺めていると体裁だけはきれいに映るので、(私は)何となく熟慮して推敲を尽くした文章かのような錯覚に陥り、そこで満足してしまうことがままあります。
手で書くと不思議とそうはなりにくい。
どうも考えを文字へ起こす回路を通るときに、ある作用が働くようです。
まず手で書くという行為は面倒なので、書くぞ!という気持ちがないと文字通り筆が進みません。
頭の中はパソコンのキーボードのように決められた位置に文字が並んでいるわけでもないので、何となく指を滑らせてそれっぽい文章を捏造するという逃げ道も塞がれています。半ば強制的に考えるという行為に向かわされるようなものです。
もう一つ。これは手で書く作用というよりは文字自体の力かも知れませんが、手書きの文字には気持ちが乗り移ります。
適当な考えだと文字も適当になります。真剣に考えていると文字も真剣味を帯びてきて、ガチな気分の自分をメタ認知(≒客観視)することができるようになります。つられて気分も乗ってきます。
まずは手で書いてみる、全てはそこから始まる気がします。
ではまた。