中山道を行く 第4週
編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第4週をおおくりします。
第4週は、早朝に熊谷駅を出発し、深谷宿を経由し、本庄宿まで歩いた。
深谷はご存じ、一万円札の肖像になる渋沢栄一の故郷。それまで深谷と言えばネギだったが、ここに来て渋沢栄一が代名詞となり、町おこしに一役買っている。
埼玉県は熊谷あたりから方言がきつくなる。語感的にはほぼ群馬だ。スターダストレビューというバンドはボーカルの根本要(行田市出身)をはじめ、メンバー全員が埼玉県北部出身だが、たまに出る「……んべ」という方言を聞くと懐かしくなる。
中島京子さんの小説『樽とタタン』の中に、「はあ、来たんか」と言うおばあちゃんが出てくる。この「はあ」は「早」がなまったもので、「もう、来たのか」の意だと説明されている。作中ではどの地域かは明らかにされていなかったが、取材のときに中島さんに聞いたら、親御さんの実家が熊谷だそうで、おばあさまの話し方をそのまま使ったらしい。
埼玉県北部では、驚いたとき、「てまっ」という。日常会話は、だいたいこの「てま」と「そうなん?」(「そうなんですか」の意)で済む。
「孫ができてよ」「そうなん?」
「それが三つ子で」「てまっ」てな具合。
このあたりでは塩気が薄いことを「甘い」と言い、「この味噌汁は甘い」と姑に言われた他県出身のお嫁さんは、塩と砂糖を間違えていれてしまったと思ったのだそうだ。
また、すべすべしていることは「のめっこい」と言う。局所的な方言かと思っていたが、東京と山梨の境に「のめこい温泉」があり、やはり「すべすべしている」という方言から来ていると言う。
埼玉県北西部から東京の多摩地区あたりまでは方言的には似ているところがある。これはおそらく養蚕の影響だろう。明治期、外国に売る商品はシルクぐらいしかなく、国の政策で群馬から埼玉、東京都下は桑畑だらけになったが、養蚕を広めるには技術者が必要で、派遣される技術者が群馬県民だったから、群馬弁が北関東に広まったのだ……と推測している。
昼過ぎには早くも本庄に着いた。上州路はもう目と鼻の先だ。