TK-プレス 其の50(最終回)「骨のある人」
ドーハの悲劇があった年、井尻千男さんの連載を担当することになり、日経の下の「太陽樹」という喫茶店まで先輩とともに挨拶に行った。サッカーの話などして和やかな雰囲気だったが、政治・軍事の話になると、井尻さんは「今の日本人は腰ぬけだよ」と一家言ありそうな雰囲気を漂わせた。気骨があるというのはこういう人のことを言うのかと思いながら、その手の話に関心のない私は、井尻さんと先輩の話を聞いてうなずくだけの首振り人形と化していた。存在感、薄!
そのせいではないと思うが、数週間後、原稿の催促の電話をした際、「公募ガイドですが」とだけ言ってしまい、名前を言いそびれた。と、直後に「んだ?」と不機嫌な声。続いて「公募ガイドの誰だ!」と一括。慌てて名前を言ったが、時すでに遅し。「君はなぜ名前を名乗らん」と怒涛の勢いで説教が始まった。これが漫画だったら、私は椅子の上で3cmぐらいまで縮んで描かれていただろう。で、「一方的に言うのもなんだから、君の反論を聞こう。3時に『太陽樹』に来い」と。
理論武装をしなければと道々考え、井尻さんには「一度会っただけの個人名を言っても分からない可能性があるが、社名なら通じる。それに仕事を依頼しているのは会社であって個人ではない。主体は会社にある」というようなどうしようもない屁理屈を言ったのだが、これが火に油を注ぐ結果となった。「そもそもその考えが間違っている。会社に人格はない。俺は会社とは付き合わない」とまたまたお説教。でも、「俺は君個人と付き合いたいんだよ」と言われ、はっと我に返る。
その後、暴風雨は収まり、井尻さんは「会社の意見なんてない。すべては個人の意見。だから、雑報でも署名が必要。それが責任を生む。公募ガイドもそうしたらいい」と言い、最後に「今日は嫌な思いをしたと思うけど、この話は可能な限り人に話せ。そうすれば君の失敗が生きるから」と言われた。以来、この話は何十人と話したが、署名のほうは、一時は個人を識別する番号を情報記事に入れていたものの、その後は廃止され、なんだか井尻さんに申し訳ない気がしている。(黒)
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