TK-プレス 其の46「文章修業の方向性」
カラオケに行くと点数表示が出るものがあって、別に楽しければそれでいいのだが、いい気分で歌っても「68点」とか出ると、うそだろ、90点とは言わないけど、70点はいっているだろと文句を言いたくなる。最近の機械は声量や音の伸びとかも判断するそうだが、要するにプログラムどおりに歌わないと点数にならないらしい。で、いいんだよ、俺はライブバージョンだからと言って次の曲。みんなノリノリでウケもよかったのに、点数表示はまた「68点」。なんかむかつく。
話はがらりと変わって、文章の添削、推敲。なぜそんなことになったのかは覚えていないが、ある日、今は文壇の重鎮となっている作家のエッセイを槍玉にあげ、徹底的に直してやろうということになった。メンバーは本好きの学生。若気の至りとはいえ恐れ多いことだが、その作家の文章には粗いところがあって、重箱の隅をつつくようなことを言い出せばきりがなく、ほどなく文庫の数ページが真っ赤になった。それを清書してみると、確かに100点と言える出来だった。
ただ、「うーん、なんだかなあ」と阿藤快のように唸ってしまった。上手だけど、これでいいのかなあ。通りもいいし、すっきりしているし、意味もよく伝わるし、スマートだし、まとまりもあるし、係り受け関係も明快だし、簡潔だし、文句のつけどころがないのだけど、なんか足らない。雑味のないビールを造ろうとして水になってしまったような、無駄を削ろうとして大事な何かまでなくなってしまったような。つまり、味がない。多少の粗は味のうちだったのかなと思った。
以前、某文芸誌の編集長が「作家を目指す人の多くは修業の方向を間違っている」と言ったことがあった。「プロになりたいなら、カラオケで100点を取るようなうまさを目指すのではなく、どうしたら聴く人を魅了できるかを考えるべき」と。なるほど、言われてみればそのとおり。どうにもならないくらい下手では困るが、下手も個性のうち。あばたもえくぼじゃないけど、惚れこんでしまえば欠点ですら好きになる。でも、機械には味は分からず、やっぱり気になる「68点」。(黒)
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