小説抄 其の42「岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』」
小説には読者自らが虚構に“乗る”という面がある。小説は作り話だからどんな秀作でもウソ臭いと言うことはできるし、どんな化け物が出てきても紙の上の出来事だから怖くはないのだが、こちらから進んでその世界に入っていって自ら怖がり、怖がっているうちに本当に怖くなってしまったりする。ずいぶん前だが、『ぼっけえ、きょうてえ』を読みながらそんなことを思った。
ところで、怖い怖いと話題になると一度は体験したくなるものだが、怖いもの見たさと言えば、その昔、肝試しと称して“出る”と噂の場所に友人数人で深夜のドライブに行ったことがあった。ところが、言い出しっぺの友人は「あの辺」という極めて曖昧な情報しか持っておらず、深夜の山道で迷ってしまった。なんだかなあ。期待が大きかっただけに、段取りの悪さに冷めてしまう。
「だめだ、完全に迷子だ」誰かがそう言ったとき、突然車の電気系統がすべて切れた。なんだなんだとパニックになっていると、もう一人の友人が「霊がいると電気系統が切れる」ととんでもないことを言い出した。そんなこと今言うなよ。余計に怖くなったが、そうでなくてもライトなしでは走れない。車をUターンさせて帰ろうということになった。そのとき、「あああ、車が!」
あろうことか脱輪! 一同、靴のまま田んぼに入り、「せえの、うーん、動かねえ」と繰り返すこと一時間。時刻は丑三時、闇の中では変な声の鳥も鳴いている。やばい雰囲気だ、なんか出そうと思ったとき、遠くにちらちら光るものが。「人魂?」恐怖におののく中、その火が近づいてきた。見るとどこかの人が持つ提灯だ。隣には浴衣の少女。なんだか怖いシチュエーションに小泉八雲の「むじな」を思い出す。「こんな顔かい?」なんて言ったりして。いや絶対言うって、やばいって。そう思って固まっていると提灯の男は言った。「どうかしました?」その人は山奥に住むご老人で、我々の騒ぎに様子を見に来たのだった。冷静に考えろ、俺。むじなのわけないじゃん!
あれ、けっこう早い段階で岩井志麻子、全然関係なくなっちゃってますからって?(黒)
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