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社員ブログ

小説抄 其の39「デズモンド・モリス『裸のサル』」

2011-01-25

動物は毛で覆われているのに、ヒトにはなぜ毛がない(薄い)のかという疑問に対して、かつては「洋服を着るようになったから」と言われていたように思う。ところが、これはまったく逆で、樹上生活をやめた結果、狩猟のために走らねばならなくなり、体温が上昇して体毛が抜け、そのために衣服で体温を調節するようになったと言う。この衣服に象徴される文化的装置を発明したのは、以前は「ヒトは優れているから」と説明されていたように思うが、本当は劣っているから(弱いから)」と言ったほうがいい。言葉を発明したのも「コミュニケーション能力が豊かだから」ではなく、動物のように直感的に、あるいは本能的にコミュニケーションすることができず、つまり、その能力に乏しいから、代わりに言葉を発明したと考えたほうがより正確だろう。


霊長=優れたものという言い方があるが、人間は万物の霊長という発想は昔から根強くあった。だから、「人間はサルから進化した」と言われたとき、「そんなバカなことがあるわけない。我々の祖先はアダムとイブだ」という反論が起こった。ここで言うサルは動物園にいる猿ではなく、現存する猿と人類の共通の祖先であるサルだが、そんなことは問題ではなく、サルが祖先であること自体が許し難かったらしい。余談だが、子どもに向かって迂闊に「人間はお猿さんから進化した」と言うと、チンパンジーやオランウータンから直接進化したもののように勘違いしてしまうので要注意だ。実際、私は子ども頃、動物園の猿も努力すれば人間になれると思っていた(笑)。


ヒトは猿の胎児そっくりで、「人間はサルの未熟児」であるそうだ。未熟児が成体になるのではなく、未熟児が未熟児のまま別の種になるなんてことがあるのだろうかと思うが、進化のきまぐれなのか、そういうことがあるらしい。これはネオテニー(幼児成熟)と言い、ウーパールーパー(アホロートル)は山椒魚のネオテニーだそうだ。というようなことは、キリスト教徒も頭では理解できた。しかし、人類を創造した神を否定することはできなかった。そのため互いに譲らぬ議論となり、揚句の果ては、線路の両側から汽車を走らせ、脱線したほうが負けという対決までされた(大の大人が!)。ちなみにその汽車、ともに脱線してしまったそうだ。ちゃんちゃん。(黒)