小説抄 其の38「横山秀夫『半落ち』」
「半落ち」というのは、半分落ちている(自白している)という意味だが、内容を端的に表しつつ、「何それ?」と思わせる絶妙なタイトルだと思う。それで読み始めたが、最初の「志木和正の章」が終わると、次に「佐瀬銛男の章」になり、つまり、語り手となる人物が代わり、「え?」と。それで改めて目次を見ると、実に章ごとに六人の人物によって語られる構成になっていた。
これまでこうした作りの小説は読んだことがなかった。考えてみると、五木寛之の『内灘夫人』は良介と霧子の二視点だったし、村上春樹や伊坂幸太郎も多視点で書いているが、六人が均等に順番に出てくるというのは読んだ記憶がない。というより、迂闊にやったら失敗するのは目に見えているから誰もやらないのだろう。では、『半落ち』はなぜ成功したか。それは語り手こそ代わるものの、一貫してひとつの事件を追っているからではないだろうか(あれ、常識だったかな)。
しかし、これはなまなかなことではない。プロだって手を焼く。昨年、やはり四、五人の登場人物によってひとつの事件を追った小説を読んだが、途中、なんかまとまりがないな、っていうか、主人公は誰? 俺は誰に感情移入して読めばいいの? と思ってしまったことがあった。でも、吉田修一とか桐野夏生とかはやすやすとやってのける(ように見える)。このクラスになると、多視点とか神の視点とかでも話がとっ散らからない。さすがだ。
『半落ち』の場合、一貫して追っているものは、現職警察官でもある犯人の梶聡一郎がアルツハイマーの妻を殺害した事件である。いや、そうではなく、自白はするが、殺害して自首するまでの空白の二日間については黙秘するという深い謎である。それを隠した梶聡一郎の動機である。これを核に六章が強固に串刺しになっている。これがなければ、たぶんこの作品は空中分解した。
同作は直木賞の候補になったが、実際には起こり得ないことが書かれているという理由で落選になったそうだ。名だたる選考委員の判断だからそうなのだろうが、奇跡的にまとまっているので同業者でもある面々が嫉妬した? なんて思ってしまう。いや、それはいくらなんでも穿ちすぎかな。(黒)



