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社員ブログ

小説抄 其の35「マルセル・モース『贈与論』」

2010-11-30

中学生の頃、部室でユニフォームに着替えていたら、同級生の川合が駆け込んできて、ロッカーの裏に隠れるや、「かくまってくれ」と。誰かに追われているらしい。直後に部室のドアが開き、「すみません、川合先輩はいますか」と、恋にはまったく無縁といった女の子が立っていた。川合は物陰から私を見て、必死に手を合わせている。仕方がないので「いないよ」と言うと、彼女は「これ、渡してください」と小さな包みを差し出した。バレンタインデーのチョコレートだった。


彼女が帰ったあと、川合は「なんでもらうんだよ」と怒った。俺に文句言うなよ、だいたいみんなもらいたくて一週間も前から落ち着かない日々を過ごしているというのに、お前一人僥倖に預かり、しかも断るだなんてどういう料簡だと頭に来て、「くれるものはもらっておけよ、かわいそうだろ」と言い返すと、「冗談じゃない、かわいそうなのは俺だ」と川合は泣き顔を見せた。その色男ぶりは殺したいほど腹立たしかったが、受け取りたくない理由は依然として謎だった。


贈与というのは単に物を渡すだけでなく、同時に精神的な負荷も与える。好きな人の場合、互いに贈ったり贈られたりすることがうれしいが、好きでも何でもない人の場合、お返しをするのは嫌だが、しなければ返さねばという負荷だけが残り、見ず知らずの人の場合は気持ちが悪い。それで世間に返すことで負荷から逃れようとするなら、それは社会貢献だからいいが、ポトラッチという民族の場合、贈与を受けてそれに見合うものがない場合、代わりに妻を殺したりするという。お返しができなくても、損失があれば精神的な負荷はチャラになるということらしい。


だから、あのとき川合は必死に逃げていたのだと思うが……。あの日、部活が終わって帰ろうとしていたとき、特に関心もない子からチョコレートを渡され、返す気もまったくなかったが、なのにどういうわけか、というか当然というか、チョ~うれしかった。モース先生、こういう場合はどう解釈すれば? 私が負荷に鈍感とか? モテない男のバレンタインデーは例外とか?(黒)