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社員ブログ

TK-プレス 其の35「禅問答」

2010-11-23

変な授業があった。あるとき、先生は突然、「無意識の線を描け」と言った。人は誰でも幼児のとき、無意識の線を描く。それを見て親は「それはお口だね。ではお鼻は?」と意識を植えつけてしまうが、生まれて初めて絵を描いたときに戻って、何も意図しない線を描き続けろと。で、意味のある線、きれいな模様を描いた人は0点、子門真人の髪みたいに画用紙が真っ黒になった人は満点だった。「描こうと思わずに描け」だなんて禅問答みたいで、訳が分からなかった。


翌週は石膏を用意させられ、「造形する意識なく削れ」と言われた。結果、石膏がなくなった人は満点、少しでも意味のある形が残ってしまった人は0点だった。次は石を拾ってこいと言われ、それを見つめ続けろと言われた。見ていれば、絵に描かれるべき意味のある形が必ず浮かんでくると。私はためつすがめつ石を眺めた。すると、鹿の背が浮かんできたのでそこに色をつけた。月の陰影がうさぎに見えるがごとしだが、依然として授業の意図は分からないままだった。


あるときは中国語で漢詩を聞かされた。日本語訳には詩人が船の上で月を見ているといった解説があったが、それは無視し、中国語の語感からイメージされる絵を描けと言われた。絵柄はなんでもいい、しかし、詩人や船や月を書いたら0点だと言われた。これらは建築意匠の授業だったが、今考えると技術ではなく、それ以前の発想を鍛えるという意図だったように思う。


「思いを込めよ」と言われ、では、どうしたら込められるかと問うと、たいていは「思いを書かないことだ」と言われる。書かないで表現せよって、そんな禅問答じゃないんだからと思うかもしれないが、なんのことはない、要するに思いを説明するな、別なもの(出来事)に置き換えろという意味だ。しかし、実のところ、その思いとやらがなんなのか、書き手はまったく無自覚だったりするし、「これが私の思い」とはっきり意識できている作品はろくでもなかったりする。では、どうすれば……。考えるほどに深みに嵌まる。やっぱり表現って禅問答だな。(黒)