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社員ブログ

小説抄 其の34「山本夏彦『毒言独語』」

2010-11-16

懸賞情報誌という発想が降りてきて企画書を書いていたとき、懸賞というとどこかお気楽な印象があるから、雑誌の重しになるような硬派の連載が二本欲しいと思った。それで食生態学の西丸震哉先生と、漫画家というか文化人の黒鉄ヒロシさんに連載をお願いしたのだが、実はその前に、どうしてもお願いしたい人がいた。それはコラムニストの山本夏彦さんだった。歯切れのいい文体、鋭い批判、「それでも日本人か」と叱られているような小気味よさ。どれも痛快だった。


たとえば、「問答無用のこともある」には、「ごはん中はテレビを消せと親が言うと、どうして? と聞く子がある。消さなければならぬ理由が納得できない限り、スイッチを切るわけにはいかぬと言うのである。(中略)あいさつもまた習慣である。その習慣のないものを、説得してもむだである。説得するそばから、あいさつはするに及ばぬ、スイッチは切るに及ばぬという理屈を無限に考え出す」とある。戦後教育への、あるいは歪曲された民主主義への痛烈な批判だ。


戦後、日本人は民主主義がよく分からないまま、「とになく、なんでも話し合うんだってよ」と了解した。それまでは子が親に口答えすることは許されず、すれば理不尽に殴られたから、話し合いをすることは一見いいことのように思えた。しかし、なぜ人を殺してはいけないかなど躾や道徳の場合はどうか。子と話し合う前に一発殴るか一喝するかして、それは世の中がどうあろうとやってはならんことだと骨身にしみて覚えさせなければならない。話し合うのは大きくなってからでいいが、そうしてもらえなかった子が、今はもう親に、いや祖父母になっている。


そんなわけで日頃から氏の書く文章に感銘を受けていた私は、雑誌「室内」に電話しようと思ったのだが、ふと氏の一文にキャンペーンが嫌いとあるのに気づいた。しかも、かなり大嫌いな模様。このキャンペーンは懸賞キャンペーンではないのだが、キャンペーン情報誌に連載をなどと言ったら、それだけで「この大馬鹿者が」と一喝されそうとビビり、課題を先延ばしにしているうちに一年、二年、そうこうしているうちに氏は鬼籍に入られてしまった。今さらながら自分の小心さを呪う。(黒)