TK-プレス 其の34「30年の中断」
30年前のある日、なぜか海外文学に興味を持ち、カミュ、カフカ、ヘミングウェイなどの有名な作品の、ただし薄いのだけを読んだ。しかし、トルストイの『復活』とスタンダールの『赤と黒』は上巻だけ読んで、うん、けっこう読めるぞと安心し、途中、村上龍だの、椎名誠だの、吉本ばななだのと浮気していたら、いつのまにか読む気が失せ、結局、そのままになってしまった。
明治大学教授の斎藤孝さんは、9割方読めばもう読んだと言っていいと言っているが、私は自分に嘘をついているようで、どうもそうは思えない。出版社の目録に『復活』と『赤と黒』の文字を見るたび、新沼謙治の「嫁に来ないか」じゃないけど、なぜかしら忘れ物している気になり、早く続きを読まないと筋が分からなくなると焦った。実は今も半ば諦めつつそう思っている。
だいたい訳書というのは、通訳から話を聞いているようなものだから、考えてみれば偽物という気もしなくはない。「Hello」を「こんにちは」と訳すのはいいけれど、意味は同じでも別の言葉だから、ニュアンスというか、コノテーションというか、辞書的な意味のほかに言語がまとったイメージのようなものを解さないなら、あらすじを読んだって一緒だと思ってしまう。
ある訳書には「感謝祭」とあり、※印の注釈を読んだら「11月の第4木曜日」とあった。それだけ分かってもなあ。もっとも詳しく説明されたところで、感謝祭に対する気持ちや感じは分からない。そうなるとロシアやフランスの文化について学び、かつ原語で読むしかないが、そんなのは無理な相談だ。要するに、四の五の言わずに翻訳されたものを読めって話だな。
ある作家は、プロの作品は途中で中断しても、再開してすぐに筋が見えてくる、きりの悪いページから読み始めることもできると言っている。そうか、それでは30年前に上巻だけ読んだ『復活』と『赤と黒』を下巻から読んでみようか。さすがに無理だろうな。書いた人は天才でも、こっちはかなりポンコツ……30年経った今は、そんな言葉しか思いつかない頭だからな。(黒)
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