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社員ブログ

小説抄 其の31「深沢七郎『みちのくの人形たち』」

2010-10-05

初めてバイトした喫茶店は恐ろしく暇な店で、それなのにバイトは二人もいて、東北訛りのあるもう一人のバイトの女性といつものように「暇ですね」と言い合っていたとき、FMラジオからジョン・レノンの「レボリューション9」が流れてきた。この前衛的な曲には赤ちゃんの泣き声が録音されているのだが、彼女はそれを聞くと蒼ざめ、「気分が悪いから」と言って家に帰ってしまった。翌日はけろりとした顔で出勤したが、聞けば彼女の母親が堕胎を繰り返したので、彼女に水子の霊が憑き、それで赤ちゃんの泣き声を聞いて嘔吐と頭痛に見舞われたとのことだった。


深沢七郎の『みちのくの人形たち』にも堕胎の話が出てくる。作者と思しき主人公が訪ねた東北のある家の仏壇には、両腕のない女性の仏像がある。この家の先祖である。その婆さんは産婆(助産婦)で、多くの赤子も取り上げたが、養っていけない子を頼まれて葬ってもきた。今の堕胎はヒトになる前に堕ろすが、昔は生んでから殺した。具体的には嬰児をたらいに入れて窒息死させる。「子消し」である。むろん、好んでやったわけではない。その証拠に、後年、この婆さんは罪を重ねたその手を家族に鉈で切断させたと言う。仏像に両腕がないのはそのためだ。


深沢七郎は、昭和31年に行われた第1回中央公論新人賞の受賞者で(受賞作「楢山節考」)、それ以前はギタリスト、受賞後は作家業と並行して、牧場、今川焼き屋、味噌屋、だんご屋などをやる。作家ではなくタレントの副業のような経歴だが、「音楽のように小説を書きたい」と言っていたそうなので、根は音楽人というか、既成の文壇作家とはちょっと違ったのかもしれない。


小説のほうも一風変わったものが多く、意識的にやっていたのか、自由に書いていただけなのか、スマートじゃない面もある。素人でも真似できそうに見えて、でも絶対にできない。天賦の才能の仕業だろう。音楽にも起承転結に似た構成があるが、深沢七郎が音楽の道に進んでいたら、民謡をベースに「レボリューション9」のような一風変わった音楽を作ったかもしれない。(黒)