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社員ブログ

TK-プレス 其の31「筆が勝手に書いた結」

2010-09-28

中学3年のとき、国語の授業で作文を書くことになったが、先生はサッカー部の顧問で、批評しやすいという事情があったのだろう、サッカー部員の作品ばかり採用するので、今回もどうせ採り上げられないだろう、でもまあ、それも気楽でいいやと好き勝手なことを書いた。


当時の悩みは進路だった。プロ野球選手になりたいと無邪気にいう年でもなく、かといって、具体的に知っている職業もない。知っているのは家業である建築屋の仕事ぐらいで、こちらはよく現場で遊んでいたから知っていた。また、父の会社の従業員は大半が農家の人で、農繁期には会社を休むのだが、そこに大きな工事が入ると中学生の私まで現場仕事に借り出されたから、感覚的にはどんなものか分かっていた。だからといって現場監督になりたいとは思わなかったけど。


作文のタイトルは「職業の選択の自由」だった。かいつまんで言うと、「かつては職業の選択の自由はなかった」「今は自由であるが、そのことが選択を難しくしている」である。ここまでで起承だが、あとが続かない。というより、これが言いたいことのすべてだったから、これ以上、書くことはなかった。しかし、枚数が足らなかったので、このあと、現場でのエピソードを書いた。


と、結は「将来は現場で働きたい」になってしまう。いやいや、そんなことは思ってないよと何度も読み直したが、今の流れで結を書くとどうしてもそうなってしまう。いやなら書き直すしかないが、ええい面倒だ、どうせ先生しか読まないんだから、うまく構成できていれば中身はどうでもいいやと提出してしまった。


ところが、これがクラス代表に選ばれて市の文集に載ってしまった。私はひた隠しにしたが、やがて露見し、「そうか、将来は現場がいいか。設計もいいけど現場もいいぞ」と、家業を継いでくれるものと信じて疑わない父親に満面の笑みで言われてしまうのだった。私は、違うんだ、あれは文章のロジックってやつが勝手に書かせた結なんだと思いながら苦笑するしかなかった。文章にも目に見えない潮目というか、轍のようなものがあることを思い知った十五の夏。(黒)