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社員ブログ

小説抄 其の27「中野孝次『ハラスのいた日々』」

2010-08-10

原稿取りと撮影を兼ねて中野孝次さん宅を訪問し、カメラマンと二人、応接間で待っていると、作務衣姿の中野さんが現れた。瞬間、「武士だ」と思った。武士が大げさなら求道者でもいい。なぜそう思ったのかは分からないが、あるいは単純に作務衣姿に影響されたからかもしれない。ちなみに、このときは作務衣が何か知らず、武道の道着か何かだと思っていた。


その後、挨拶と名刺交換をし、世間話などしはじめたが、最初に「武士だ」と思ってしまったせいか、緊張してうまくしゃべれない。しかも相手は『清貧の思想』の著者である。下卑たことを言ったら俗物だと思われそうで、私は目を泳がせておろおろ(情けない)。なのに、カメラマンという人種は無神経なのか、バシャバシャとストロボをたいて、中野さんが顔をしかめているのも気にせず撮りまくる。羨ましい性格だ。


空気は相変わらずどんより重い。中野さんの表情も硬い。これじゃあいい絵は撮れないぞ、何か手はないかと思ったとき、庭先に犬小屋が見えた。そうだ、ハラスだ。中野さんが『ハラスのいた日々』の著者でもあったことを思い出し、「私も十三年間、犬を飼っていまして。秋田犬ですが」と言うと、あれほど厳しかった顔がいきなり好々爺のようになり、それから犬談義に花が咲いた。ハラス、ありがとう。写真でしか見たことのない柴犬に感謝した。が、それもつかのか、中野さんの笑顔を狙ってカメラマンが十数回目のストロボをたくと、その笑顔がきゅっと引き締まり、「何枚撮るんだ、もういいだろ」と一喝。ううっ、やっぱり本質は『清貧の思想』……。


後日、通りすがりのデパートで作務衣を見かけた。虎の威を借るじゃないけど、着てみたくなり、一着購入して自宅で着てみた。が、なんか違う。やはり中身の人間が違うと、ああはならないものなのかなあと思ったとき、近くにいた家人が言った。「どうしたの? その甚平」。どうやら私が買ったのは作務衣ではなかったらしい。なんか違うと思ったよ。(黒)