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社員ブログ

小説抄 其の26「司馬遼太郎『韃靼疾風録』」

2010-07-27

学生の頃、あまりに日本史の知識がないことを痛感させられ、それで楽しく日本史の知識が得られるすべはないものかと思った。そんなとき、友人が「司馬遼太郎はどう?」と薦めてくれた。「小説だから必ずしも事実ではないけど、おもしろいことは請け合う」と。で、最初に『国盗り物語』を読んだのだが、物語もおもしろいうえに、ときどき、「余談ながら」といって歴史的な事実についても説明されていて、それが痒いところに手が届くほど日本史無知にも親切だったので、もう完全に嵌まってしまった。そのときは長い春休み中ということもあり、毎日徹夜で読み、昼間眠ってまた夜通し読むという生活を続け、三ヶ月ほどで新潮文庫と文春文庫の作品の大半を読んでしまった(ほかにやることはなかったのかね)。


それからしばらくして、中公文庫にも司馬遼太郎作品があることに気づき、『韃靼疾風録』を読んでみた。さすがに読売文学賞を受賞しただけあっておもしろかったが、途中で「ん?」と思った。物語はアビアという韃靼の公主である女性が平戸に流れ着くところから始まり、桂庄助という松浦家の下級武士が韃靼まで送り届けるという展開をする。つまり、「アビアを送り届ける」ことが物語の目的だと言っているわけだが、この目的は本の半ばで達成されてしまう。「?」と思ったのはこのときだ。途中で目的が達成されてしまって、このあとどうするのだと。


その後、文庫本の下巻では、この庄助に明の崩壊と清の台頭を目撃させるのだが、「おもしろい!」の裏には、常に「主人公とも言うべきアビアはどこに行った?」という思いがあった。そのことは作者が一番分かっていたとは思うが、連載ということもあり、収拾がつかなくなってしまったのかもしれない。最後に「もう疲れてしまった」と書かれてあるのは象徴的だ。後年、『韃靼疾風録』は司馬遼太郎最後の小説と聞き、司馬さん自身、物語と格闘し、そしてついに力尽きてしまったのだなと思った。しかし、それは美を感じさせる敗北でもあった。(黒)