TK-プレス 其の25「夢と分別」
ドラマや映画にもなった漫画「ルーキーズ」では、「夢にときめけ、明日にきらめけ」というセリフがよく出てきて、単純に「夢っていいなあ」などと思ってしまったが、ただ、相手が言葉を字義どおり受け止める一途な子であればあるほど、「夢は夢見たときから実現に向かっている。決して諦めるな」と言うのは、ちょっと怖いことだなあと思って一瞬トーンが下がってしまう。
たとえば、どこかの誰かが「作家を目指す」と言えば、「ぜひともがんばってください。応援します」と言うが、しかし、かといって、「ならば手始めに離婚をし、酒と女とドラッグに溺れるなど常人とは違った生活をしよう。自殺未遂もしてみよう」など言い出されても困る。すべてに優先される夢などないと思うし、そもそも、そんな生活をしてもなんの意味もない。環境や体験は必要条件ではあるかもしれないが、十分条件ではないからだ。
実は、これに似た、思いつめたらどこまでという知人がいた。名をNと言い、太宰治を崇拝していたが、太宰でなくとも、普通の暮らしをしていたら作家にはなれないと、いい年になってからも仕事にも就かず、結婚もせず、一人黙々と小説を書いていた。しかし、一向に芽が出ず、三十を越えた頃に一時シナリオに鞍替えしたという噂を聞いたが、そのあと、別の友人が連絡したところ、既に故人だった。自殺だったそうだ。
Nがなぜ死んだかは今もはっきりしないが、死ぬくらいならそんな夢はさっさと捨てちまえばよかったんだよと思った。夢はほかにいくらでもあっただろうとも。あるいは、夢は夢としてあくまでも趣味として楽しみ、しかし、志は捨てず、古希をすぎたあたりでひょっこり芽が出るのをひそかに期待するという選択肢はなかったのかなとも思う。夢は人生を乗せて走る車のようなものだと思うが、危険な面もある。乗りこなすには技量が必要なのかもしれない。もっとも、Nは草葉の陰で「だからおまえは甘いんだ」と反論するかもしれないが。(黒)
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