TK-プレス 其の21「受賞者は誰だ!」
明治37年に、「大阪朝日創刊25周年記念懸賞長編小説」(1等300円)という公募が行われている。この賞には審査に厳正を期すため本名を伏せるという募集条件があり、受賞作には「琵琶歌 桃郎(とうろう)作」と題名と筆名しか書かれていなかったそうだ。大阪朝日は作者不明のまま発表し、そうすれば本人から連絡があるだろうと考えたが、紙上で呼びかけがされたにも関わらず、受賞者は名乗り出てこなかった。
結局、半年にもわたる調査の結果、作者は大倉桃郎(本名国松)であると分かった。では、なぜ名乗り出なかったか。桃郎は応募原稿を友人に託すと日露戦争に出征してしまい、紙上で発表された頃は激戦の地・旅順を攻める包囲軍にあって受賞を知らなかったのだ。また、原稿を託した友人は他紙の購読者だったので気づかなかった。
この事件は、それ自体が物語となって発表の前座を飾る。今なら敏腕プロデューサーが裏で糸を引いているのではないかと勘繰ってしまうほどよくできた仕掛けだが、つらい境遇の青年が日露戦争に出征することによって差別を跳ね返そうとする家族小説という内容が現実に近いため、虚構と現実の境界が曖昧になってしまったようだ。実際、本になったときには、まだ出征中だった桃郎からの手紙が付録として収録されていたという。
とまれ、桃郎は旅順から帰還する。バイロンは「ある朝、目が覚めたら有名になった自分がいた」と言ったそうだが、桃郎は復員したら作家になっていたわけだ。しかし、受賞自体が事件になってしまい、作品の外側ばかりが話題になったのは幸だったのか、不幸だったのか。
「琵琶歌」もその後の作品も文学的評価はほとんどないと言っていい作品のようだが、これほど有名にならなければ、あるいはもっと落ちついて作家修業ができたかもしれない。名前が一人歩きをしては本人もやりにくかったろう。ただ、帰還後はゴシップ報道の先駆的新聞、万(よろず)朝報の記者として活躍したそうなので、拾う神はあったと言うべきかもしれない。(黒)
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