TK-プレス 其の20「日本最古の文学賞」
文学賞の歴史をひもとくと、明治26年に読売新聞社が募集した「歴史小説歴史脚本」がある。選考委員は尾崎紅葉や坪内逍遥など4名で、これが最古の懸賞小説であろう。第1回入選者は不明だが、翌27年、2席入選(1席は該当作なし)に「瀧口入道」が選ばれている。
「瀧口入道」は、無骨一偏の青年武士、齋藤滝口時頼が恋におち、悩んだあげく出家するが、最後には切腹するという話。平家滅亡の哀史を背景に、滝口と横笛の悲恋を描いた歴史小説で、明治中期の浪漫主義文学を代表する古典として名高い。昭和初期には映画化もされており、岩波文庫にも入っていたので、和漢混淆の文体に四苦八苦しながら読んだ方もいるだろう。
当初、受賞者は「無名氏」なる東京帝国大学哲学科の学生、つまり匿名だったが、死後、作者が明らかになる。それが高山林次郎、すなわち、のちの高山樗牛である。賞金は1等100円、2等は50円相当の金時計で、樗牛は2等の金時計をもらうと換金し、学資にしたという。
「歴史小説歴史脚本」以外では、明治30年に万朝報社という新聞社により「『万朝報』懸賞小説」が実施されている。こちらは文学賞というような規模ではなく、懸賞小説、もっと言うと紙上投稿である。賞金は10円(のちに20円)で、週1回募集、大正13年まで公募されている。
受賞者を見ると、永井荷風(明治32年)、国木田独歩(明治32年、33年)、菊池寛(大正2年)、浜田広介(大正5年、6年)、宇野千代(大正9年、10年)などの名前もあり、作家の卵たちが腕試し、小遣い稼ぎに投稿していたようだ。
ほか、明治時代には、「『新小説』懸賞小説」(明治30年創設、明治31年~35年/春陽堂)、「『文芸倶楽部』懸賞小説」(明治36年~39年/博文館)、「『帝国文学』懸賞小説」(明治36年/帝国文学会)などが行われているが、この時代の文学賞を牽引したのはなんといっても新聞社で、出版社が台頭するのはもっとずっとあと、円本ブームの大正になってからのことである。(黒)
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