TK-プレス 其の15「アドバイスの理解」
高橋源一郎氏がデビューしたばかりの頃、とある教室で、「みんなは映画のシーンを頭に浮かべて、それを書き写すような感じで書いているけど、小説はそれとは全然違うからね」と言われた。それがどういう意味なのか当時はさっぱり分からなかったが、試験勉強でもする要領で「映画と小説は違う」とだけ丸暗記しておいた。
それからしばらくして、別の作家が言った。「小説を書くときは、映画のように克明に情景を思い浮かべて、それを文章にする」と。はて? 真逆のことを言っているぞ。これはどうしたものかと混乱した。今なら前者は、映画はカメラが作品世界の外側にあり、しかも二台も三台もあるが、小説では視点を特定の人物に限定する(一視点で書く)という意味であり、後者は写生文のコツを言ったものだと分かるが、当時はちんぷんかんぷんで、ただ戸惑うだけだった。
ことほどさように、せっかく指導を受けても本質を理解していないと役にたたない。暗記科目であればテストではある程度の成績はとれても、公式を丸暗記するようなかたちで理解した(してないのだけれど)のでは応用も利かない。
とはいえ、小説のコツというのは、一度教えを受けて、はい分かりました、とはならないものかもしれない。その前に受け手の準備としてある程度の読むトレーニングは必要だろうし、それを積んでいたとしても理解が頭に固定するには時間が必要だろう。あとになって、「あれはそういう意味だったのか、なんだ、簡単なことだな」と改めて気づくこともある。
ところが、「つかんだ」と思ったらそいつは消えてしまい、「もしかすると少し違うのではないか」という疑問が湧いてくる。「これがコツだ、小説のかたちだ」と思って安心できるのは束の間で、次の瞬間には「正解」はどこかに行ってしまっていて、またいたちごっこが始まる。小説に限らず、思想も哲学も宗教も人生も男とか女とかも、奥義というのはそうしたものかもしれない。(黒)
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