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社員ブログ

小説抄 其の14「サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』」

2010-02-09

「『Catch in the Rye』なら『ライ麦畑でつかまえて』と訳せるが、原題は『Catcher in the Rye』だから『ライ麦畑でつかまえる人』だけどなあ」と話していた数日後の1月27日、J・D・サリンジャーが亡くなったという速報を目にした。「え?」と絶句したものの、ジョン・レノンが射殺されたときほどのショックはなく、改めてクソじじい、いや、いい大人になってしまったのだと痛感した。


かつて、『ライ麦畑』を常に持ち歩いていた時代があった。読みかけの文庫本はジーンズのポケットにあったが、『ライ麦畑』はハードカバーだったので、かばんの隅に置いてあった。特に再読するわけではなかったのだが、なぜか持っていたかった。私は無宗教なのでしかとは言えないが、きっとキリスト教徒が聖書を持ち歩いているのと同じような感覚だったのだと思う。バイブルというか、一種の精神安定剤だな。


作中、主人公のホールデン・コールフィールド少年は、妹の貯金箱から勝手にお金を持ち出したかと思うと、たまさか行き会ったシスターに寄付をしたりと訳の分からない行動をする。物語的には貫通行動ではないが、今思うと、あれはアンガージュマンだったんだな。当時はそんなことは分からなかったが、読んでいて安心感を覚えた。訳の分からない時代に訳の分からないものを読むと、訳の分からない同士が呼応して共振するんだな、きっと。


ご存じのようにサリンジャーは、1953年(昭和28年)以降は一切書かなくなった。サリンジャーにもう一度筆を執らせるというのはすべての編集者の夢で、私も20代の頃はそんな妄想を抱いていたが、負け惜しみではなく、サリンジャーは筆を折ったままで正解だったと思う。うまく言えないが、それは今さらのこのこ同窓会に行って、クソばばあになってしまった、いや、いい大人になってしまった昔の彼女を見たくないと思うのに似ている気がする。(黒)