TK-プレス 其の9「小説の筋の芸術性」
新しい潮流と出会って影響されると、それまでの自分が陳腐であるような気がして嫌になったりする。いくら他人があなたの業績は偉大だと言おうとも、それは過去の話。これからもこれでいいのかとぼんやりと思ってしまい、同時に誰かの中に過去の自分を見てしまうと、その誰かまで空疎なような気がしてしまったりする。
果たして芥川がそう思ったかは分からないが、昭和2年1月、芥川は『新潮』の座談会で谷崎の『日本に於けるクリップン事件』ほかを批評し、「筋のおもしろさが作品そのものの芸術的価値を高めるということはない」と発言した。構成や展開に絶妙な冴えを見せた芥川がこんなことを言い出すのは不可解だが、この背景には、芥川が自らの技巧的で作為的な「話」本位の小説に疑問を感じ、当時のトレンドでもある心象風景を描いた小説、つまり、私小説を極めた心境小説的な「『話』らしい話のない作品」を好むようになっていたということがある。
これに対し、物語性溢れる作品を次々と発表していた谷崎は『改造』の「饒舌録」の中で、「うそのことでないと面白くない」、そして「筋の面白さは、言い換えれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさである。これに芸術的価値がないとは言えない」と反論した。
すると芥川は『文芸的な、余りに文芸的な』の中で、「小説は『話』の上に立つものである」としたうえで、問題は「その材料を生かす為の詩的精神の如何である。或は又詩的精神の深浅である」と再反論。その後、谷崎の再々反論、芥川の再々々反論と論争は続く。
この論争は論争というより互いに文学論を主張しあっただけという面もあり、親友でもある二人は論争中に人形芝居を観劇したりしているが、わだかまりがなかったわけでもないようで、論争中に「仏像集」を贈った芥川に対し、谷崎は依怙地になって「送り返せ」と言っている。しかし、送り返すまもなく、作家として乗りに乗っていた谷崎優勢のまま、同年7月、芥川の睡眠薬自殺をもって論争は終わる。遺書には「ぼんやりとした不安」という言葉が残されていた。(黒)
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