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小説抄 其の3「太宰治『晩年』」

2009-09-08

「トカトントン」という喫茶店を見つけ、父親と一緒に入ったところ、案の定、店じゅうが太宰の著書だった。当時は太宰ばかり読んでいたから、たまには父親の鼻をあかしてやろうと、「芥川賞の候補作に『晩年』があがったとき、太宰は受賞を依頼する手紙を書いたんだ」と言ったところ、「それは釈迦に説法だな」と。手紙を書くのが釈迦に説法? なんだ、それ? 私は訳が分からない。


この『晩年』は太宰最初の小説集であり、晩年に書いた作品ではない。ただ、著書「『晩年』に就いて」の中で「これが、私の唯一の遺著になるだろうと」思ったので題名を『晩年』にしたと書いているように、本人は二十代の今を晩年と思っていた。


この前年、第1回芥川賞のときにも太宰は候補にあがっている。『逆行』と『道化の華』がそうで、『逆行』は最終候補に残ったのだが、受賞作は石川達三の『蒼茫』だった。太宰は、川端康成の選評「私見によれば作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みがあった」に激怒し、「川端康成へ」という一文を著している。


その後、第3回のときにも『晩年』が最終候補にあがり、太宰は川端康成と佐藤春夫に芥川賞を請願する手紙を書いた。結果は落選。選評の中で川端康成は「今回に適当な候補者がなければ、太宰氏の異才などは授賞してよいと思う」と書いているのだが、あるいは手紙を書かなければすんなり受賞したかもしれない。


この事件が起きたのが昭和11年。その後、太宰は職業作家としての地位を確立していくが、この時代、自分の今を晩年と思っていた青年も少なくなかっただろう。志願兵だった私の父も然りで、一時期は太宰の信者だったらしい。つまり、釈迦に説法とは、本でしか太宰を知らない私に対する皮肉だったというわけだ。(黒)