TK-プレス 其の3「一生懸命なのは皆同じ」
2009-09-01
今はワープロ原稿が主流だからいいが、かつては速記のような原稿を書く悪筆の作家には専門の解読係がいるような時代もあったそうだ。しかし、新人ではそうもいかず、安部譲二氏のように一度書き上げた作品を改めて清書して出すのが普通だった。せっかく書いたのだから、読み手のストレスを極力減らし、存分に読み込んでもらいたいと思うのは書き手の本能とも言える。
それは自分のためでもあるが、相手への配慮でもあるからいい。しかし、作品とは別に一文をしたため、受賞をねだるかのような行為はよくない。
ある賞の選考委員をしている先生によると、「一生懸命書きました。どうぞよろしく」といったことを書く人がいて、とりわけ女性に多いそうだ。先生は「それは甘えだ」と断じ、「自分だけが一生懸命書いたような気でいる」と手厳しい。
ただ、弁護するわけではないが、それは「おねだり」や「おもねり」というより、単に懸賞と混同しているだけという気もする。「当ててね」といったことを書くといいと聞き、懸賞も公募も似たようなものだから、それが通用すると思ってしまったのだろう。そうでなければ、荷物には挨拶文を添えるという習慣のなせる業だろう。
まあ、懸賞に近いような読者投稿ではそうした一文を見て好感をもつ担当者もいるかもしれないし、作品だけではそっけないと思えば一文を添えるのもいい。しかし、厳格に選考する公募ではそれらは無視されるだけだし、邪魔でもある。紙も無駄だ。懸賞、投稿、公募。似ているけど、微妙に違う。(黒)
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