言葉処 其の100「モッタイナイ」
ノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんが来日したときにもっとも感銘を受けた言葉は、「モッタイナイ」だったそうだ。「勿体」は「物体」という意味で、「勿体ない」は「惜しい、恐れ多い」ということだが、物だけでなく、長く日本人を支えてきた文化こそ捨ててはモッタイナイ。しかし、戦後の欧米化の流れの中で、多くの日本文化や言葉がなくなった。
平等という幻想によって「分際」は死語になったが、権利は平等でも結果は不平等だから、努力もしないで他人を羨むのは「分を知れ」だろう。「問答無用」も同様。昔は「嘘をつくな」といったことは「問答無用」の一言で片付けたが、何でも話し合いの民主主義がこれを阻害した。大人に「問答無用」では横暴だが、躾に説明は不要。すれば、しなくていい屁理屈が無限に出てくる。
エッセイストの藤原正彦氏の父、つまり新田次郎氏は、正彦氏がケンカをすると、その是非は問わず、やり方が卑怯かどうかだけを問題にしたそうだ。言われてみれば、昔は「卑怯だぞ」という言葉には相当の権威があった。卑怯かどうかが物事の判断基準だったわけだ。この時代には、武士が恥をかかずに生き抜く心構えを書いた『葉隠』の精神がまだ残っていたのかもしれない。
欧米人からすると、恥を恐れて消極的になる日本人がもどかしかったのだと思うが、一神教でいう神を持たない日本人は恥で行動を律してきたから、それを取り除いてしまうと際限もなく恥知らずになってしまう。かといって昔のほうがすべていいわけでもないが、ジベタリアンなどを見ていると、日本人が思い出すべきは「モッタイナイ」より「ミットモナイ」のような気もする。(黒)
※連載コラム「言葉処」は今回の100回をもって終了し、次回から隔週(火曜更新)で「TK-プレス~添削講座通信」、「YONDA-HON~小説抄」が始まります。末筆ですが、「言葉処」に共感の声を寄せていただいた多くの皆様、ご愛読いただいた皆様に、この場を借りて厚く御礼申し上げます(黒)。



