言葉処 其の99「誤読恐怖症」
誤読されそうで使うのをためらってしまう言葉がある。たとえば「目のあたりにする」は「めのあたりにする」と読まれそうで嫌だ。「一月(ひとつき)」も「いちがつ」と読まれそう。「お札を持ってお札を買いに行く」前者は「さつ」、後者は「ふだ」。「床を上げて床を拭く」前者は「とこ」、後者は「ゆか」。「人気の店だが人気がない」前者は「にんき」、後者は「ひとけ」。区別できた?
「幕間」「山間」と書くと、「まくま」「さんかん」と読んでしまう人も少なくない気がする。「幕間」は「まくあい」と読み、「山間」は「さんかん」でも誤りではないが、訓で読む場合は「やまま」ではなく「やまあい」だ。ただ、「間(あい)」は常用漢字の表外音訓だから、新聞では「幕あい」「山あい」と交ぜ書きにされ、それでますます「間=あい」と読めなくなってしまっている。
「体をなさない」の「てい」も「からだ」と読まれそう。「競売」は「きょうばい」だが、差し押さえられた家などの場合は「けいばい」と読み、「施行」と「施工」は「試行」との発音上の混同を避けるためそれぞれ「しこう」とも「せこう」とも読む。「重複」「早急」「憧憬」は「ちょうふく」「さっきゅう」「しょうけい」と読んでほしいが、だからってふりがなを付けるのもまぬけだ。
「父の如くあれ」と言われ、父親を真似て煙草を吸ったら叱られた、といったように、一つの言葉が相矛盾する意味を持つことをダブルバインドと言い、その環境から逃れられないでいると精神を病んで、意味に偏執するなどの症状がでるとベイトソンは言っている。ならば言葉に拘りたがる人種、編集者はみな病気か。編集という言葉も偏執(ヘンシュウ)からきてるとか?(黒)



