言葉処 其の97「妥協なき言葉選び」
2009-07-07
本多勝一は『実戦日本語の作文技術』の中で「球技等の芝生をいためる行為は厳禁する」という看板を問題にしている。助詞「は」には限定の意味があるから、芝生をいためない行為ならいいと読めるのではないかと。この場合は「……行為を厳禁する」とするか、「……行為はこれを厳禁する」のように「を」を使えば誤解がない。それにしても一文字で意味が変わるとは、言葉は怖い。 ある広場には「集会、催しなど、周囲に迷惑をかける行為を禁じます」という看板があった。なんの問題もないが、「催し」という言葉があまりにも楽しげで、文意とギャップがあるような気がした。もちろん、ここで言う「催し」とは、数人で花見をしたり、句会を催したりということではないと思うが、「催し」と聞いて、ついそんなような和やかなイベントを想像してしまった。 20年前、バスの中で「危険ですので窓から手を出さぬよう、特にお子様にはご注意下さい」という掲示を見た。「出さぬようご注意」だと、無意識に出すことに注意を促しているような気もするし、「お子様にはご注意下さい」のほうは一瞬「何に?」と思う。きっと言葉の重複を避けようとして、かえっておかしなことになってしまったのだろう。ちなみにこの掲示、今はもうない。 井上ひさしは「机にこびりついてばかりいないで」と言われ、「それを言うなら『へばりついて』だ」と家人に訂正したそうだ。井伏鱒二は発表から数十年経た『山椒魚』の助詞を直し、結末を削った。遠藤周作は学生時代、「は」にするか「が」にするか迷って授業に遅刻した。さすがに第一人者。一文字とて妥協を許さないその言葉に対する厳格さは、どこか求道者のようだ。(黒) ∞



