Logo
employee blog

社員ブログ

言葉処 其の94「パパと呼ばないで」

2009-06-16

妙齢の女性が「パパ」と呼んだところ、その場にいた男性たちが一斉に振り返ったことがあった。反射的に振り返ったのだと思うが、かつて「パパ」は幼児語であり、成人してそう呼ぶのは不適切な関係の男性だったから、「あの人たちは誰にパパと呼ばれているのか」と。同様に、親でもないのに飲食店の店主を「ママ」、街頭インタビューでは赤の他人を「お母さん」と呼んだりする。


自分の娘を「お姉ちゃん」、親を「おじいちゃん」と呼んだりするのは、最年少者からの呼称を家族全員がするから。また、日本語では兄弟、伯母・叔母など年齢による区別をするが、こうした背景には年長かどうかを問題とする儒教がある。この儒教のお膝元、中国・広東語では更に父方か母方も区別し、祖父母、おじ・おば、いとこ、孫などそれぞれ父方と母方で呼称が違うそうだ。


欧米では家族間でも名前や愛称で呼び、夫が妻をmomと呼ぶこともなければ、elder brotherのような区別もしない。米も英語ではriceだけだが、日本語では植えて「稲」、刈って「籾」、脱穀して「米」、炊いて「飯」と言い方が変わり、「米」は総称でもある。ところが、牛となると英語ではbullcowoxの三つの呼称があるが、日本語ではただ「牛」と言って雌雄は問題にしない。


英語で一人称はI、二人称はyouだけだが、日本語では「僕・私・俺・拙者・小生・朕/君・あなた・お前・貴様」など無数にある。一神教と違い、八百万の神を信じる日本人の場合は、世間との関係で人を捉えるからで、区別の数は必要性に比例する。ちなみに「彼」は古い言葉だが、「彼女」は明治時代にherの訳語として造語されたものなので、日本語としては浮いている。(黒)