言葉処 其の85「直訳でも印象はだいぶ違う」
翻訳された川端康成の「雪国」は「Snow Country」、芥川の「蜘蛛の糸」は「Spider’s Thread」。だいたいが直訳だ。でも、漱石の「I am a Cat」(吾輩は猫である)にしろ、川端康成の「The Izu Dancer」(伊豆の踊り子)」にしろ、なんか印象が違う。ダンサーって。太宰の「走れメロス」(Run Meros)も安部公房の「箱男」(The Box Man)も原題まんまなのに、なんだか妙にハイカラだ。
意訳もある。漱石の「草枕」(Three Cornered World)は和訳し直せば「三角の世界」で、石原慎太郎の「太陽の季節」(Season of Violence)は「暴力の季節」。小林多喜二の「蟹工船」(Factory ship)は省略形だ。思いきったのは谷崎潤一郎の「細雪」で、「The Makioka Sisters」とアイドルグループのよう。「痴人の愛」も主人公の名前ズバリで「Naomi」。これは妙にしっくりくる。
もっとも版元の監修もあるので、勝手なタイトルはつけられないだろう。スティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」や、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」も原題の直訳だが、さすがに映画のタイトルには向かないと、映画化の際、前者は「ショーシャンクの空に」、後者は「ブレードランナー」に変えられて大ヒットした。さすが!
アガサ・クリスティの「Ten Little Niggers」はアメリカでは「Ten Little Indians」となり、のちに「And Then There Were None」(「そして誰もいなくなった」)になった。直訳ながら詩的でいい。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も素敵なタイトルだが、原題は「The Catcher in the Rye」。捕まえたいのは主人公のほうだから、誤訳ではないけれど誤解している人も多い。(黒)



