Logo
employee blog

社員ブログ

言葉処 其の74「和製漢字と新名詞」

2009-01-27

一説によると漢字が日本に伝来したのは紀元前3世紀だそうで、以来、日本人は漢字を輸入しつつ、さらには会意によって独自の漢字(国字)も考案している。「身が美しい」で「躾」とか、「神棚に供える木」で「榊」とか。「峠」「凪」「辻」なども和製漢字で、大半は訓だけだが、「働く」は「動」から、「搾る」は「乍」が「作」の旁であることから、これを音読みにしている。



明治期になると、大量の外国語を和訳する必要が生じ、「型録(カタログ)」「画廊(ギャラリー)」「簿記(ブック・キーピング)」などの造語が生まれる。思想用語も多くは明治期に生まれ、「否定・肯定・主観・客観・帰納・演繹・命題・理性・現象」などは西周の造語だそうだ。「哲学」は「賢哲を希求する」の意から「希哲学」だったが、いつしか「希」がとれて「哲学」となった。



近代になって洪水のように押し寄せてきた西洋文明を翻訳しなければならない事情は中国も同じで、漢字しかない中国では「可口可楽(コカコーラ)」など様々な外国語を意訳、音訳しているが、日本生まれの新造語(新名詞)は同じく漢字であることから、訳さずにそのまま使うこともできた。「刺身」などもその一例だが、そうした便利さゆえに近代以降の中国語は新名詞で溢れた。



清末の政治家、張之洞はこうした情勢から「中国語が日本語になる」と危機感を抱き、「新名詞を使うな」と提言したが、皮肉にもこの「新名詞」という言葉自体が新名詞だった。ネットでネット批判をするようなものだが、時流には逆らえず、今やサブカル用語など多くの日本語が中国語に紛れている。もっとも様々な外来語を日本文化に取り込んできた日本語も事情は同じだが。(黒)