言葉処 其の72「百年の誤読」
セールスに来た男性は声を大にして「他社とは一線をガして」と言った。一瞬なんのことかと思ったが、すぐに「画(かく)して」の誤りだと気づいた。「画」に訓はなく、音読みは「ガ・カク」の二通りしかないが、50%の確率は彼に幸いしなかったようだ。折しもコロンビアの作家、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』がノーベル文学賞を受賞してベストセラーになっていたときだった。
かく言う私は「鼓舞」が読めなかったが、同僚が「コブ」と言うのを聞き、初めて正しい読みを知った次第。その同僚は「大所高所(オオショコウショ)」と言っていたが、これは「タイショコウショ」。「大」は続く言葉が漢語なら「タイ」「ダイ」だが、どっちか区別がつきにくく、さらに「大地震(おおじしん)」「大舞台(おおぶたい)」とも言うなどややこしいことになっている。
「魚心あれば水心あり」は「ギョシン」と「スイシン」だと思っていた。これは「魚(ウオ)、心あれば、水、心あり」だそうで、「魚に水を思う心があれば水もその気持ちを汲み取るだろう」という意味だ。芭蕉の「硝子の魚おどろきぬ今朝の秋」の上五は「ガラスのさかな」かと思ったが、これは「びいどろのうお」と読むそうだ。「びいどろ」って、芭蕉も意外(?)とハイカラ(死語)だな。
仮名を読み間違うこともある。「ウコン」を「ウンコ」、「おこと教室」を「おとこ教室」と読むとか。私はよしもとばななの『サンクチュアリ』を『サンクチュリア』だと思っていたし、『あしたのジョー』の「ハリマオ」は「ハリオマ」だと思っていた。そう言えば、車窓から見えた「五反田」のふりがな「ごたんだ」が一瞬「なんなんだ」に、「代々木」が「佐々木」に見えたこともあった。(黒)



