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社員ブログ

言葉処 其の63「言葉の権威主義」

2008-11-11

田舎臭いとバカにされそうな「べえべえ言葉」も、中居正広が言うと素朴でいい感じがするのか、それに感化されて若い子に流行っているという。そう言えば最近の子は「だけど」を「けど」と言うことが多い気がするが、あれも関西系タレントの影響だろう。方言の復権自体はいいが、ただ、テレビという後ろ盾を得て、それだけが絶対的に正しいような態度で使うのはどうか。


マスコミは第三の権力とも言われ、今や絶大な権威を持っているから、テレビで使えば“正当”というお墨付きがついてしまう。たとえば、「恐」の訓は「恐ろしい」であり「こわい」は「怖い」だが、また「無い」は特に強調するとき以外は「ない」と仮名書きしたほうがいいと思うが、テレビのテロップでよく「恐いものは無い」と表記されているので、それを真似て書く人が多い。


むろん「恐い」でもかまわないが、「恐い」は正しく「怖い」は誤字と思っている子もいるから困る。辞書も引かず、「すべてテレビが正解でしょ?」なんて思っている子は、そのうち「1長1短」とか「7転8倒」と書きそうだ。字幕やテロップには字数制限や能率最優先といった事情があり、また、常用漢字表に厳格に準拠しているわけでもないから、それを鵜呑みにするのは危うい。


肩書きという権威もある。「二人」は熟字訓だから「ふたり」と読むが、「2人」は「ににん」だ。また「1度もない」では温度か角度のようだが、某作家がそう書いたときは猿真似が横行した。会社に行ったら自分より自分の名刺のほうが幅を利かせていたという小説が安部公房にあったけど(「S・カルマ氏の犯罪」)、一般の方はともかく作家志望の人が権威に弱いのでは情けない。(黒)